概要
マクラーレンMP4/6は、1991年のF1に投入されたF1マシン。
ホンダ製の新開発・3.5Lv12エンジンを搭載し、先代が積んでいたv10エンジンより更に長いエンジンへの対応は、V12搭載マシンの先輩であるフェラーリの640系列車をお手本とし、課題の空力面など外観はライバルのフェラーリから加入したアンリ・デュランが担当したため、高く丸みを帯びたサイドポンツーンなどフェラーリ643によく似たものに変更、フロントサスペンションも前型までのプルロッド式からフェラーリ643と同型のプッシュロッド式に変更のうえ、スプリング/ダンパーユニットをモノコック上に水平に設置し細身のノーズにするなど 外観及び構造の多くを一新した。
しかし、外見やサスペンション構成については前作と比較して大きな変化や進歩が見られたものの、マシン内部への新技術の投入は見送られ、ピークパワー重視のv12エンジンや旧態然とした3ペダルマニュアルミッションと、当時のF1マシンとしてはかなり保守的で飛び抜けたパファーマンスは期待できない状況であった。
シーズン中の苦戦と成績
マシン自体は堅実な作りに終始して信頼性だけは優秀だったが技術的な革新性は皆無で、決して突出したマシン性能を持っているとは言えなかった。
しかし、セナからのたび更なる改善に対する要求に対してチームも意欲的に対応、シーズン中においても開発を進めて、ホンダもレースごとの細かい改修に取り組みマクラーレンも軽量化などの地道な改良を繰り返すことで一線級の戦闘力は維持し続けた。
さらにアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガー両名の奮闘と(タイトル争いにおいて)最大のライバルであったウイリアムズの(シーズン序盤での)躓きやこの年のマシンであるFW14の信頼性の低さにも助けられ、この年もドライバー&コンストラクターのダブルタイトルを獲得した。
ただし、前年以上に他チームとの戦力差が縮まり、接戦となる機会が増えたため、翌92年でのさらな苦戦が予想される事態となった。
ホンダ製V12エンジン RA121E
本車に搭載された3.5L 自然吸気v12エンジン。
ホンダは1989年より、V型10気筒のエンジンであるRA109E系列のエンジンで戦っていたが、ホンダの社内においても、本命はv10ではなく初期のホンダF1からの伝統であるV型12気筒だという機運が強く、同年1月にはV12エンジンの開発がスタート。
当初、エンジンの供給先であったマクラーレンはマシンバランスの悪化を理由にv10からの移行について強く反対していたが、ホンダからの説得で実戦投入に同意している。
バンク角はV12エンジンとしては、一般的な60度で長さこそv10よりが長くなったが、重量はマクラーレンからの懸念に応えるべく懸命にエンジンの軽量化を進め、(v10の159KGに対して)154kgと5キロ軽くなった。
1990年7月には試作型エンジンが完成し、実車による走行テストをイギリスのシルバーストン・サーキットで行うところまでこぎつけた。しかし、既存のv10と比べてパワー及び低速トルクの低下やドライバビリティの悪化など問題が露呈してしまう。
これは、エンジンそのものが開発の初期段階でパワートルクともまだ充分出ていなかったことに加え、V12化による燃費の悪化により大型の燃料タンクが必要となり重量配分が悪化した影響によるものだった。
その後、マクラーレンとセナの要望を受けてシーズンを通して改良を続け、前述の通りシリーズチャンピオンは勝ち取ったものの その頃主流になりつつあったマシンとのトータルバランスがより重視されるトレンドに逆行したものであることに変わりはなく、翌シーズンはついにホンダエンジンはチャンピオンエンジンの座から転落を容疑なくされることとなる。
なお、本エンジンがF1の歴史上、V12気筒でワールドチャンピオンを獲った唯一のエンジンである。
※4回チャンピオンマシンとなったフェラーリの312Tシリーズのエンジンも厳密にはバンク角180°V12気筒であるが、フェラーリがボクサー型と自称し登録上も水平対向型であるため、公式記録上本車が唯一のv12エンジン搭載のチャンピオンマシンとなっている。
※2000年以降エンジン規定上の気筒数上限が厳しくなりV12は参戦できなくなったうえ、カーボーンニュートラルの観点から小型のICE(内燃機関)とそれを補助するMG(モータージェネレータ:電気か熱を動力に変換するか、または動力や熱を電気に変換するエネルギー回生変換システム)を組み合わせたPU(パワーユニット)に移行しているため、今後V12で本エンジンに続いてチャンピオンを獲るエンジンが登場する見込みはほとんどない)
関連タグ
アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー McLaren 本田技研工業 F1
先先代型MP4/4
先代型 MP4/5
後継型 MP4/7A