曖昧さ回避
- ローマ軍団の階級の一つ、「ケントゥリオ(百人隊長)」の英語読み。現代の小隊長にあたる。
- イギリスが開発した戦車。第二次世界大戦後の第一世代の主力戦車である。
概要
第二次世界大戦中イギリス陸軍は機動戦に使用する高速力の巡航戦車と、重装甲で歩兵を援護する歩兵戦車に分けて開発、運用していたが、北アフリカ戦線や西部戦線でのドイツ軍との戦闘で、巡航戦車は装甲の貧弱さ、歩兵戦車は機動力の無さが明らかになった。またドイツ軍の重戦車を撃破可能な17ポンド砲は既存の戦車では砲塔が狭すぎて搭載できなかったため、巡航戦車と歩兵戦車、それぞれの長所を兼ね備えた強力な新型戦車A41として開発が進められた。
A41の開発は順調に進んだ。国内での鉄道輸送を考慮した車幅制限が撤廃されたため、大直径の砲塔リングが使用できるようになり、17ポンド砲を搭載することで、ドイツ軍のティーガー重戦車と正面から撃ち合える火力と装甲を持つことができた。装甲を備える事を最優先にサスペンション等は保守的な部分を残していた。
しかし試作車の段階で終戦を迎え、最初の量産型であるMk.1は戦後に完成、配備された。
登場当初はそれまでの戦車と比べ性能、火力面が良く、イギリスにしては良作の戦車であった。
その後も主砲が20ポンド戦車砲・L7105mmライフル砲に換装されたり、装甲を強化されたりと改良が続けられ、最終型のMk.13まで発展することとなり、戦後イギリス陸軍の主力戦力としての役割を果たした。
初の実戦である朝鮮戦争で高い能力を証明し、同戦争で用いられた戦車の中で最高の評価を得た。
ショット
第二世代の登場でセンチュリオンの活躍が衰退するかに見えたとき、センチュリオンを欲しがる国があった。イスラエルである。これに対し、イギリスや西欧のセンチュリオン配備国は旧式化したセンチュリオンを売却し、イスラエルの軍備が増強された。IDFではショットの名で使用された。
しかしいざ実戦で使用してみると、元々ヨーロッパでの運用を前提としていたため、ゴラン高原の気候に20ポンド戦車砲が合わず、ガソリンエンジンの引火率の高さから、乗員からは不評であった。
その後改修が行われ、主砲をL7ライフル砲に、エンジンをディーゼルエンジンに換装し、すでに導入済みだったM51スーパーシャーマンと共に戦果を挙げたため、センチュリオンの名声を上げた。