概要
東京の國學院久我山高校、國學院大學を経て、2002年のドラフトで6巡目指名で読売ジャイアンツに入団。久我山高校時代にはそのたぐいまれなる長打力から同校の先輩である井口資仁にならい、「井口二世」の呼び声が高かった。そのため、当時井口が所属していたダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)が矢野を獲得すると思われていたが、矢野本人がジャイアンツ入りを熱望していたため、実現はしなかった。
ルーキーイヤーの2003年から一軍でプレー。前年に不動のセンターと呼ばれていた松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースに移籍したため、松井の穴埋めとして外野を守っていたが、あまり活躍はできなかった。
その後はスタメンと代打を併用されたが、特に代打での活躍が目立つようになり、巨人の貴重な右打ちの代打としてチームに帯同するようになった。
人物
ボール球・デッドボールでも思い切りスイングするため、怪我が多い。
代打で登場し、タイムリーを打って勝利に貢献し、喜ぶ姿から「お祭り男」のあだ名がある。
競泳の北島康介に顔が似ている。
お立ち台に立った際、アナウンサーから無理矢理マイクを奪ったことがある。