中華人民共和国西南部のチベット地域にある、中国共産党が設定した行政区域の民族自治区。
中国語では「西蔵自治区」。
自治区は政治的単位であって、地域としてのチベット(歴史的チベット)は、現在インド領となっている地域を含めて、チベット自治区の外側にも広がっている。青海省や、その近辺の省の一部が含まれる。ヒマラヤ南麓のブータンは、チベット人が独立国を有する唯一のチベット地域である。
ポタラ宮殿のあるラサ市を中心に、地域の9割はチベット民族が居住している。現地の経済は農牧が基本で、交通整備が進んで観光業も盛んになっている。
1642年以降、ダライ・ラマを頂くガンデンポタン(チベット政府)による統治が続いていた。1950年に中国はチベットを中国領と見なし、中国軍を侵攻させ併合。チベット北部・東部(アムド・カム)をカンデンポタン統治地域から切り離した。中国はチベット人の自治権を否定して圧制を敷き、多くのチベット人(カンデンポタンによると120万人)を虐殺。ダライ・ラマはインドに亡命し、多くのチベット民衆があとに続いた。中国共産党は清朝の雍正帝によるチベット分割にもとづいて1965年に自治区を設定。その後も何度も抵抗運動が繰り返されたが、その度に弾圧され、中国人の大量移植が続いている。