ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

Tu-95の編集履歴

2013-10-26 10:36:28 バージョン

Tu-95

てぃーゆーきゅうご

1950年代にソビエトの開発した爆撃機で、亜音速の速度域での効率を重視した設計となっている。航続性能がよく、そこを海軍にかわれて海上哨戒機や巡航ミサイル発射母機にも派生した。空軍型はTu-95、海軍型はTu-142と、二つの系統がある。NATOコードネームは『ベア』。

細長い胴体、長い後退翼、そして二重反転プロペラ。

このTu-95はどこから見ても独特で、まさにソビエトの科学力が成した爆撃機である。


開発の前に

そのころ世界は

1950年代、第二次世界大戦が終結して、アメリカソビエトの二大国家が見せた最初の動きは『互いに自国を攻撃しないか警戒する』というものだった。アメリカはナチスドイツの科学力と世界トップの工業力と合わさり、共産主義が資本主義を脅かす事を警戒していた。ソビエトはもとよりアメリカなど信用しておらず、倒すべき資本主義国家の総本山であり、いつでも本土空襲を敢行できる空軍力と核兵器の脅威について警戒していた。


だが、両陣営が直接激突することはなかった。

戦後しばらくは両国とも戦後復興に忙しかったし、なによりお互い性質こそ違うものの強大な軍隊である。直接ぶつかり合うと再び長く苦しい戦争になって共倒れになるのは確実なので、ひとまず今は同盟国を増やし、自国の勢力を伸ばすことに注力したのだった。


当時のソビエト爆撃機

それまでソビエトが開発した大型爆撃機は大戦前に開発されたツポレフTB-3くらいのもので、しかも第二次世界大戦の頃には完全に時代遅れになってしまっていた。戦争中もいますぐ間に合う双発中型爆撃機の開発がせいぜいで、とうとう双発爆撃機のみで乗り切ってしまった。


だが大戦が終わり、今度は海の向こうのアメリカが相手となると、手持ちの爆撃機ではまったく役に立たない事が明確になってきた。

『アメリカはモスクワに核爆弾を落とせるのに、こっちは何も出来ない!』


前述のとおりソビエトで重爆撃機の開発は既に絶えていたが、幸い日本上空で被弾して帰還が困難になり、仕方なく進路をウラジオストクにとって不時着したB-29を参考資料に使う事が出来た。

(乗員は中立国経由で帰国させた)


こうして完成したのがツポレフTu-4「ブル」で、B-29のデッドコピー(無許可コピー)のような機となった。だが1950年、朝鮮戦争が勃発。この戦争ではB-29MiG-15相手に惨敗してしまい、自動的にTu-4も時代遅れの異物となってしまった。


MiG-15の活躍は大きな自信につながったが、同時にせっかく実用化した爆撃機もまったく役に立たない事も証明されてしまった。なんとしても新しい爆撃機を開発しなければならない。それも迎撃戦闘機にも対抗できる高性能機が。


1948年にはイリューシンIl-28「ビーグル」のような新型機が完成していたが、これでも足りない。強力なエンジン・大きな搭載量を併せもつ爆撃機でなければアメリカ本土に到達し、さらに迎撃網をくぐり抜けてワシントンを爆撃する事など不可能だった。


『大陸間爆撃機』。

当時、アメリカも血眼になって開発していた種であり、こうした機の開発競争も冷戦の一局面であった。


ソビエト流『空の要塞』

B-29で得られたノウハウに新しい技術を足して爆撃機は、朝鮮戦争中には完成にこぎつけた。


最初に完成したのはツポレフTu-16「バジャー」で、大型のジェットエンジンを主翼付け根に左右1基ずつ搭載している。Il-28を大きく上回る高性能機だったが、大陸間爆撃機というには航続距離が短かすぎた。当時のジェットエンジン(ターボジェットエンジン)は燃料消費が大きかったのが原因である。


そこで白羽の矢が立ったのが「ターボプロップエンジン」という、ジェットエンジンにプロペラを付けた様なエンジンである。これは空気を取り入れ、圧縮・燃焼させる点まではジェットエンジンと変わりないが、その後別のタービンで排気エネルギーを回収してプロペラを回す力にする、という点が違う。最適飛行高度や最大速度に劣るが、軽量で燃費もいいのが特徴である。


Tu-95ではさらに二重反転プロペラを導入し、さらなる効率化を図っている。この結果、航続距離は試作機(Tu-95-2)でも13000kmとなり、改良された生産型(Tu-95M)では最大16000kmにまで高まった。さらに最大速度も900km/hを超えており、ターボプロップエンジン機として常識はずれの記録をたたき出している。


「ベア」の活躍

核爆弾から巡航ミサイルへ

Tu-95は1955年のパレードで初登場し、参列した西側の関係者に衝撃を与えることになった。

CIAなどは過大評価して、「ソビエトの戦略爆撃機の勢力はアメリカ以上である」と見積もったりもした。いわゆる「ボマーギャップ」というやつである。

U-2のソ連強行偵察はこれを裏付けるために行われていた。


時を同じくして、さすがに「敵の勢力下を、しかも鈍重な爆撃機でノコノコ行くのは危険が大きい。それに対空ミサイルが作れるのなら対地ミサイルも作れるはずだ。敵地に入る前に対地ミサイルを発射できるなら、それで代わりにできるんじゃないか」という考えも出てきた。


こうしてTu-95は配備から間もなく、巡航ミサイルの発射母機として使うことが考えられた。大きな機体だからミサイルを積むのに苦労はないだろう。こうして登場したのがTu-95Kで、Kh-20巡航ミサイルを搭載することができた。


海軍のミサイル誘導機

Tu-95の優れた性能には海軍も関心をよせた。

当時の対艦ミサイルは現在に比べると未熟なもので、誘導にGPSもなければ光学システムを使った地形照合も使えなかった。ならどうするかというと、レーダーで敵を探知し、無線で誘導波を出してミサイルを誘導する必要があった。


こうして開発されたのがTu-95RTsで、潜水艦やその他水上艦艇のミサイルを誘導するため、もしくは電子偵察のために生産されている。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました