概要
グレートブリテン島北部に位置するグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国(イギリス)を構成する地域の一つで、島全体の約三分の一を占める。首府はエディンバラだが最大都市はグラスゴー。国花はアザミ。
イングランドとの仲の悪さは有名で、よくエスニックジョークのネタになっている。
歴史
イングランドとは種族の異なるピクト人という種族が住んでいたらしい。一時期ローマ帝国が支配していたが、気候や政治制度の問題などから撤退している。後にピクト人の他にローマの影響を受けたブリトン人、アイルランドから来たゲール人、イングランドから来たアングロ・サクソン人、スカンディナビア半島から来たヴァイキングなどが混ざり合った地域となった。6世紀頃からまとまった王国が出現し、1066年に統一されたイングランドと敵対するようになった。そのため、フランスと対イングランド同盟を結んでいる。
13世紀末のイングランド王エドワード1世の頃、一時期イングランドが統治するも、ウィリアム・ウォレスやロバート・ザ・ブルースなどの抵抗に遭い、失敗している(この時代は映画「ブレイブ・ハート」の舞台になっている)。
後に、情勢の変化からフランスよりもイングランドとの関係を重視するようになっていく。そして1603年、エリザベス1世が独身のまま死んだ事により、スコットランド王のジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位する(※)。ここに両国の同君連合が誕生した。
しかし、清教徒革命がきっかけで政治対立から内戦が勃発。イングランドの侵攻を招いてしまう。更に、その後の名誉革命に反発(スコットランドからすれば勝手に自分達の王をすげ替えられてしまったことになるため)してイングランドと対立し、経済力の差に屈服させられてしまう。こうして1707年、スコットランドはイングランドに吸収された(※)。その後、ジャコバイトたちによる反乱が起こるも失敗。イングランド化が進んでいくこととなる。
産業革命を経て発展と停滞を繰り返すが、第二次世界大戦以後はナショナリズムが高まる。1997年にはスコットランド議会が設立された。
※1……スコットランドには彼以前にジェームズを名乗った王が5人いた。この当時、スコットランドとイングランドはあくまで別の国家であるので、スコットランド王としての代数とイングランド王としての代数は一致しない。イングランド王ジェームズ2世は、スコットランド王としてはジェームズ7世になる。チャールズ1世、チャールズ2世については、スコットランドとイングランドとで代数が一致しているが、これは偶然に過ぎない。ちなみに、ジェームズ6世がイングランド王継承資格を有していたのは、祖父のスコットランド王ジェームズ5世が、イングランド王ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダー(スコットランド王ジェームズ4世の妻)の子であったためである。
※2……議会と経済関係ではイングランド寄りの統合はされたものの、司法制度や合同法に違反しない旧イングランド・旧スコットランド両王国の法律が維持されるなど、合同は不完全なものとなった。
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