概要
大日本帝国陸軍が建造・保有・運用した大型船舶のこと。
特に飛行甲板を持ったものは陸軍空母と揶揄され、海軍と陸軍の仲の悪さの象徴、のように言われてきた。
が、実はこれは間違いである。
実際にはこれらは強襲揚陸艦に分類される。本来の意図を隠すために「特殊」という言葉を使いたがるのは、旧日本軍の性癖である(この点はもちろん海軍も同じである)。
海洋国家である以上、海洋を越えて強襲する敵前上陸部隊の存在は必須である。
ただ、アメリカでは、当時は海軍省の管轄下だった海兵隊の担当だったため、LSTなどの海兵隊用の舟艇は海軍籍だった。
それに対して、日本では、陸軍の管轄であり、当然そのために必要とする装備としてこれらの装備を陸軍が保有・運用するのは当然でありごく自然なことであった。
また大日本帝国陸軍は「洋上機動戦」と称して高度な敵前強襲揚陸作戦を研究していた。その第一人者こそ、誰あろうかのマレーの虎こと山下奉文である。
戦後の勘違いの原因は、太平洋戦争当時には海軍にも常設の陸戦隊が存在したことによる。また、戦後のウォーゲームなどで日本の海軍陸戦隊が米海兵隊に相当する戦力として登場したことがそれに拍車をかけることになった。
実際には、海軍陸戦隊は、元々は必要な際に水兵によって組織されていたもの(“臨時陸戦隊”)で、上海事変などによって高度な陸戦技術が必要とされたため専用の兵士で構成される“常設陸戦隊”になったが、主な任務は拠点の防衛であり、その規模も敵前揚陸能力も陸軍や米海兵隊などとは比べ物にならないほど小さい。
したがって「陸軍空母」と言われるものの主に搭載するのは上陸部隊とそのための舟艇であり、航空機の運用能力は同クラスの海軍の軽空母と比べて著しく限定されたものである。
つまり海軍空母に伍して『隼』などを搭載する意図は最初からなく、九七戦や九九式襲撃機を少数搭載して上陸部隊を支援することが目的であった。