『シン』
しん
本項目は『ファイナルファンタジー10』に関する重大なネタバレが含まれています
本作に登場する怪物で、物語の根幹に関わる存在。
制作側曰く、名前の由来は宗教的な「罪」を意味する英単語「sin」から。
1000年前、ザナルカンドとベベル間に起きた大規模な機械戦争の折に突如として姿を現し、高度に発達した機械文明をことごとく破壊し尽くしスピラの文明衰退を招いた。現在に至るまで破壊を繰り返す災厄をもたらす存在であり、発生の原因は「機械文明に頼り過ぎ傲慢になった人間への罰」とされている。
名前の表記が単にシンではなく、二重鉤括弧で『シン』と囲まれているのが特徴。
クジラのような姿をしており、頭部には建造物と思しき物が埋もれているかのように建っている。
移動する時は重力魔法を利用して空を飛ぶことができるが、水中でも活動できる。
身体の一部分が剥がれると「『シン』のコケラ」と呼ばれる強力な魔物になり、『シン』はこのコケラと化した身体の一部を回収するために戻ってくる性質がある。(そのためコケラが発生した場合、どれだけの犠牲を払っても排除する事になっている)
また、コケラになるほどの質量を有していない欠片の場合、細かく分かれて「コケラくず」と呼ばれるモンスターになる、一匹一匹は弱いが、何しろ数が多いのでコイツらも厄介であり、一部のコケラはこのコケラくずを自力生産して取り巻きとして使用する
至近距離で遭遇すると幻覚を見たり、記憶がひどく混乱する事がある。作中ではこの現象を「『シン』の毒気にやられた」と称している(実際は毒ガスなどの有害な成分が『シン』から発生している訳ではなく、『シン』の身体を構築する高濃度の幻光虫が他者の体内に含まれる低濃度の幻光虫に影響を与える為、幻覚を見るのである)。
ちなみに、異世界からの来訪者である故にスピラの常識を知らないティーダは「『シン』の毒気にやられて頭がグルグルなんだよ」とこの現象を言い訳にしてごまかしている。(幸いにも、似た様な症状の連中が多々おり、そこまでシンに接近した時点で、キーリカの毒気にやられた男の様に家も故郷も家族も全て失ったことが重なりほぼ廃人状態になっていることが殆どであるため、少々言動がおかしいで済んでいる様に見えるティーダは「幸運だった」とみなされ、あまり追及されずに済んでいる)
倒す為には召喚士が命と引き換えに発動する事ができる究極召喚を習得し、それ以外に倒す方法はないと言われている。
そして『シン』が倒され、再び復活するまでのわずかな平穏な期間の事を「ナギ節」と呼んでおり、そこに『シン』を倒した召喚士の名前が加えられて「○○のナギ節(例えば、ユウナの父ブラスカのものはブラスカのナギ節となる)」と呼ばれている。
しかし、究極召喚を用いて撃退しても僅か半年〜数年近く(平均的にはおよそ三年程)で復活するので、また新たな召喚士が『シン』を倒す為に究極召喚を習得する旅に出なければならない。
『シン』の正体
その正体は、1000年前に実在した伝説の召喚士エボンが怪物へと成り果てたエボン=ジュが己を守るための鎧として幻光虫で構成した存在。いわば作中における召喚獣とほぼ同義のものである。
召喚士エボンは、過去に起きた機械戦争が原因で滅亡寸前にまで陥ったザナルカンドを存続させる為に、記憶だけを空間に保存するという方法をとった。生き残った住民や召喚士達をガガゼト山山頂の岩場に埋め込み、召喚獣を呼び出す為に必要な「祈り子」へと変え、彼らの記憶と「夢」を吸い上げる形で召喚獣と同じ形で「夢のザナルカンド(ティーダの故郷)」を召喚する。
これがザナルカンドという滅んだはずの都市が敗戦後も存続し続けていた理由である。
そして召喚者である己を守るべく、脅威となる現代の機械文明を破壊し続ける怪物『シン』を幻光虫で生み出すに至った。『シン』の姿は、前述の幻光虫を重力魔法で収束して構成させている。そのため並大抵の攻撃では瞬く間に再生されてしまう。
ちなみに頭部に見える謎の建造物は、夢のザナルカンドの一部である。
倒した『シン』が復活し続けるのは、撃破した直後に究極召喚で呼び出された存在がエボン=ジュに乗っ取られてしまい、それが新たな鎧……つまり新たな『シン』の核として生まれ変わってしまうからである。召喚獣もまた高濃度の幻光虫で構成された存在であるため、新たな『シン』を作る格好の素材にされてしまうのだ。そして究極召喚獣が新たな『シン』に作り替えられるまでの期間が『ナギ節』である。
とどのつまり、『シン』の核となるエボン=ジュを倒さない限り究極召喚を習得してもその究極召喚が新たな『シン』になるだけで意味がないというイタチごっこ状態だった。
しかし、後にその事実を知ったティーダ達が究極召喚を用いずに『シン』を倒す方法(つまりエボン=ジュを消し去る)を探し当てた為、スピラの名の由来でもある1000年に渡る死の螺旋を断ち切るきっかけとなる。
ちなみに、作中に登場する『シン』はティーダよりも前に夢のザナルカンドからスピラへ迷い込んだジェクトが、ブラスカの究極召喚の祈り子となった後に新たな『シン』へと転じた存在である。
しかし、まだ僅かにジェクトとしての心が残っており、『シン』の体内の最奥部に一行が辿り着くまでは必死に自我を保っていた。
ようやく出会えた彼からの「間に合ってよかった」というセリフを聞いてミニゲームや訓練所のやり込み作業に徹していた事を恥じたプレイヤー達は数知れず。
ストーリー終盤、本体であるエボン=ジュがティーダ達に倒された事によって『シン』も完全に消滅、スピラは死の螺旋からようやく解放される事となり、「永遠のナギ節」が訪れる事となる。
スピラの人々は何かに囚われていたが、『シン』とエボン=ジュもまた「ザナルカンドの存続」という妄執に囚われていた被害者と言える。
(なおザナルカンドを見殺しにしたザナルカンド外のスピラの民を礎にするならばまだしも、守っていたはずの夢のザナルカンドの住人「ジェクト」を礎にした辺りエボン=ジュも手段と目的が逆転し始めていた可能性が指摘される。ブラスカは他にジェクトより付き合いの長いアーロンを連れていた上、ユウナレスカという会話できる端末が存在している以上、それこそジェクトに「貴方ではダメ」と却下しアーロンを指名することもできたはずなのに名乗りをあげたジェクトを使った事こそが祈り子達が夢を見ることに疲れたとこぼし始めた原因ではないか?と考察されている。アルティマニアでは「ジェクトが『シン』になったのは祈り子たちに衝撃を与えた」と語られており、バハムートの祈り子がティーダを導いたのもこれが理由なのだろう)。
本作から二年後の世界を描いたFFX-2では、ユウナは「永遠のナギ節を作り上げた大召喚士」として英雄視されている。
更にFFX-2終了から数年後の世界を書いたボイスドラマ版では、世界各地で死者が復活する事態(正確には幻光河等でフワフワしていた死者が突然自我を持って、会いにきていた遺族達と交流し始めそのまま幻光河を離れ、作中散々出てきた死人と同じ状態になる)が発生。
ボイスドラマ内ではシパーフが二頭に増えていたり(片方は作中居たシパーフで、もう片方は死に別れた番)、亡き母親に会いにきていた父親と子供の内父親は「もう帰ろう」と促すのだが子供が「お母さんも一緒に帰ろう」と言い出し、父親が困っていると、本来思い出が投影されているだけで本当に死者がそこにいるわけではないはずなのに、亡き母親が「ええ、そうね」と呟き突如実体を持って現れ、父親が「嘘だろ…?」と呟いている。
そして時を同じくして、幻光河に『シン』が発生、恐らく「死者が蘇る」という異常事態と、前例がありまくる「『シン』の復活」を、幻光河に居た大量の人間が嫌でも連想させられたことによる「こうなってほしくないという想起」が幻光に結びついた他の通常の死者と同じただの遺影だが、他の死者が死人として蘇っている以上、『シン』がやがてそうならない理由もない
そしてそれを知ったユウナやボイスドラマオリジナルの召喚師は何かを察し、自身が思いを寄せている相手(ユウナならティーダ)に嘘をついてまで別れを告げ、あの台詞を宣言する
「私…『シン』を倒します…必ず倒します…!」
それ以降の顛末は今以って不明である
ユウナレスカを倒した後、数々のイベントを終えて飛空艇で直接『シン』に立ち向かうこととなる。まともにぶつかっても勝ち目はないが、ティーダが「歌を聞いている間『シン』は攻撃してこなかった(ジェクトは歌が好きだった)」ことに気づき、ユウナが世界中の人々に頼んだことで大合唱による援護が行われる。これによって『シン』の行動を封じ、飛空艇の兵器を駆使して着実にダメージを与えて行く。このため戦うのは『シン』ではなく、そこから生み出されたコケラやパーツ部分となる。
『シン』のコアを複数破壊すると墜落するが、まだ勝利とはならず両翼を生やして飛翔。今度は正真正銘『シン』との直接対決となる。一定ターン以内に『シン』を撃破しないと飛空艇を引き寄せられ、剣が届くほどの至近距離まで近寄ると徐々に口が開き、最大まで開くと「ギガ・グラビトン(ムービーでシンがぶっ放したテラ・グラビトンの小規模版)」が発動、キャラもろとも飛空挺が木っ端微塵に破壊され画面がホワイトアウトしゲームオーバーとなる。(内部的には敵全体に耐性完全無視の即死効果と最大HPの100%のダメージを与え、リレイズも解除するというとんでもない効果であり、召喚獣を盾にしようが何をしようが絶対にゲームオーバーになる。ちなみに即死効果は確認することが可能でホワイトアウトする前にHPの方を注視すると戦闘に出てるメンバーのHPがものすごい勢いで0に近付いていくのが一瞬だけ見える)
見事撃破すれば『シン』は動きを止めて沈黙し、ティーダたちは体内へと乗り込むこととなる。これが本作のラストダンジョンである。
劇中では語らないが「召喚士が究極召喚を使うと死ぬ」というのは少し語弊がある。
究極召喚とは、ザナルカンドまで共に旅をしたガードの1人をユウナレスカの手で祈り子として作り替える事で誕生し、そうして召喚された究極召喚は召喚士との絆の強さによって幻光虫を分解する能力を行使する。これが幻光虫の集合体である『シン』を倒せる理由である。(召喚士が旅にガードを付けるのが伝統となっているのは道中の護衛以外にもこれが理由、その為ザナルカンドにたどり着いたは良いが道中でガードを全員失ってしまっていた場合は究極召喚を得ることができない)。
ではなぜ召喚士が死ぬのかというと、鎧を失ったエボン=ジュは目の前の究極召喚に憑依して新たな『シン』へと作り替えてしまう。その際に発する苦痛が召喚士にも伝播してしまい、これが死に至る原因なのである。なぜならこの現象は、究極召喚を行使できるほどの「召喚士と召喚獣の絆(リンク)の強さ」によって起こるものだからだ。
実際にシーモアは究極召喚獣のアニマを呼び出した時も死ぬことはなく、ユウナが呼び出した通常の召喚獣にエボン=ジュが憑依した時も死ぬことはなかった。
ちなみに、この「召喚士が召喚獣を倒されると死ぬ」という設定はFF的には何度か前例があり、FF4の召喚士リディアの母のミストドラゴン等が有名。