プロフィール
高校は札幌第一高校であったが2年生で自主退学している。
人生経験が影響している。
経歴(学生時代)
2013年4月、札幌市立北小学校に入学。学校に全く馴染めず、仲間はずれや問題行動により、学校から発達の問題を疑われ、特別支援学級か他校に転校かの選択を当時の教師に迫られた。
1つ目の分岐点になる。
2014年8月、札幌市立澄川西小学校へ転校
しかし、転校先の小学校でも同様な事態が発生し、親と先生も激しい口論に発展したことで、再び転校してしまう。
2014年11月 札幌市立澄川小学校へ転校
しかしそれでも、彼を取り巻く環境は劣悪化してしまう。問題行動や仲間ハズレは時期が経つにつれイジメに発展する。例を挙げればキリがなく、公園に向かえば10人以上で全員が他の場所へと向かい(当時それは"避難"と呼ばれた)、珍しく野球に入れてもらえたと思えば直後に背中にボールを何度も投げられる、彼の下の名前である「ユイト菌」という言葉がクラスはおろか学年でも広まる、などの厳しい差別やイジメがあった。
さらにそれに追い討ちを掛けるかの如く、家庭環境も著しく劣悪化し、ワンルームアパートに6年以上居住するなど、経済的に困窮したことも相まってギャンブルに走り、アルコールに酔った父から態度が悪いと暴力を振るわれることもあった。時には包丁で脅され、家出することさえあった。これらの虐待とも呼ぶべき事態には警察や児童相談所が何度も介入するも、結局は根本的な解決に至らなかった。
イジメを受けても、彼自身も精神的に著しく追い込まれていたことも影響し、親や先生に理由を上手く説明することができず、 「はっきり喋れ」と怒鳴られたり、加害者側に都合の良いように事実を言い換えられ、喧嘩両成敗や酷い場合は加害者寄りのジャッジになることさえあった。
このような絶望的な状況に対して、何か些細な指摘をされただけで彼は「自分はもうダメだ」と泣き出してしまう日々が続いたという。ことさえあった。それでも、周囲の人々は「これは演技だ」と言い放つなどして、彼を見放し、見下し、差別さえした。
このような状況下で、勉強分野を除けば(当時はこの分野が過小評価され、彼は成果を挙げることもあったがそれらは寧ろ妬みの対象としてイジメをより劣悪なものとしてしまった)彼曰く、あらゆる分野で最悪の時代を歩んでいたという。例を挙げれば、スポーツテストで最低クラスともいえる成績、代表選挙に出馬しても全戦全敗、それどころか加害者に大敗する始末、 イジメにより全くコミュニュケーションがとれない、告白をすれば鼻であしらわれる始末、などの厳しいものだった。
彼はそのような状況でも、決して自らを投げ出すことはなかったという。それどころか、2016年以降、彼は小学校を発熱以外の理由で欠席や早退をすることは一度もなかったという。(家庭環境も著しく劣悪化していたため、彼にとってはどちらを選ぶかという非常に厳しい選択があったという背景もあるが)→幾度と追い込まれても、どこまで絶望を経験しても、大逆転を諦めていなかったことを後に証明する事実として扱われることになる。
2018年6月、この頃はFIFAワールドカップがロシアで開催されていた。この大会は日本代表の予想外の躍進や当時19歳のキリアン・エムバペの大活躍があった。彼はこれをきっかけにサッカーというスポーツに強い関心を抱くだけでなく、さまざまな生い立ちや苦しい逆境から這い上がったフットボーラーのように自らの人生の流れを変える強い決意を持つこととなった。
2019年3月、小学校を卒業した。この前日に好きだった女の子に思いを伝えるも、泣かれるというあまりに残酷な結末に終わった。しかしこれは、今の彼にとっては中学以降に自分を変え、進化を遂げる上で大きな経験だったという。
2019年4月、札幌市立澄川中学校に入学した。彼は、クラスに過去のイジメの主犯格はおろか取り巻きが1人もいないという大きな幸運に恵まれた。彼はこれを自分を変える唯一にして最大のチャンスと捉えた。まずはクラスの代表に立候補し、これは苦しくも落選となったものの次点である議長に就任することができた。さらに、彼は交友関係を広げることも目指した。その方法は異なる小学校出身の人が集まる公園にたった1人で向かうなど非常に積極的なものだったという。これはスマートフォンがあることでLINEが利用できるようになったことも味方し、結果的に実を結んだ。
2019年9月、初めてクラスの代表に就任した。また、彼はサッカー部に所属していたが、新人戦のメンバーから落選してしまい、早くもスポーツで挫折を経験する。
2020年2月、学校が新型コロナウイルスの流行により休校となる。しかし、彼は自主学習や筋トレに励み、この期間を有効に活用した。
2020年6月、新クラスで再びクラスの代表に就任する。また、体育の陸上で昨年までクラスの下位だった記録がサッカー部や自粛期間でのトレーニングが功を奏し、一気にクラスの1,2番を争うレベルまで躍進を遂げた。
2020年9月、定期テストで初めて学年の上位10%の成績を挙げた。
2020年10月、サッカーの新人戦でもレギュラーとしてフル出場し、新チームのゲームキャプテンに就任するなどスポーツでさらなる躍進を遂げた。
2021年3月、仲が良かった女子に告白したが惜しくも失敗に終わった。彼の中学2年は勉強やスポーツで躍進を遂げ、代表にも就任するなど充実したものであったが、恋愛面ではなかなか成功を収められずにいた。
2021年4月、新クラスで再び議長に就任した。このとき議長自らが提案した学級目標案が採用された。
2021年7月、サッカーの公式戦で史上初のハットトリック(1試合3得点)を達成した。
2021年10月、学校祭の演劇で主役を演じた。練習では多くの懸念があったが本番でそれらを払拭する圧巻の演技を披露した。これにより、クラス内で最も多くの投票が集まり、MVPとして学年誌に作文が掲載された。
2022年3月、高校受験で第一志望の公立校は不合格に終わったものの、北海道内の私立トップレベルの偏差値を誇る、札幌第一高校に合格し、進学が決まった。
2022年4月、札幌第一高校に入学、サッカー部にも入部。ここでもクラスの委員長に就任した。またインスタグラムのフォロワー数が1000人を突破した。
2022年5月、作文がコースの代表として学校誌に掲載されることになった。
2022年6月、学校の弁論大会に出場した。惜しくも決勝進出は逃す結果に終わった。
2022年7月、学校祭の全校PRが学年・学校で反響を集め、知名度が大きく向上した。
2023年2月、この頃あのちゃんがちゅ、多様性の大ヒットやバラエティ番組などで注目度を大きく高めた。てんまんは勉強や部活で忙しかったこともありTVを観る時間がなく、この時はまだあのちゃんにさほど興味を持たなかったという。しかしこの人物は後にてんまんの人生設計に革命的ともいえる影響を与えることになる。
2023年7月、英検2級を2159点、北海道内上位4%の成績で取得した。
2023年9月、インスタグラムのフォロワー数が2000人を突破した。またこの頃、サッカー部を事実上退部した。
※2023年10月、アーティストでありタレントであるあのちゃんの映画を偶然インスタグラムで知った。札幌にある映画館では平日昼間の上映であったがこの日は学校を休んでおり、何気なく観てみることにした。そこであのちゃんに大きな関心を抱いた。そしてそれは自身がインフルエンサーとしての活動を始めるきっかけにもなった。
→これが、彼の人生における4つ目の分岐点である。
2024年3月、札幌第一高校を2年生で中途退学した。具体的な理由については言及されていない。
2024年8月、高卒認定を取得した。これにより、大学の受験資格を得たこととなる。来年春に東京都内の大学に進学予定である。法政大学などを受験する予定であるとされているが、大学名は受験前であり定かではない。
経歴(インフルエンサー活動)
2023年11月、インフルエンサーとしての活動をスタートさせた。彼は企業とのタイアップを積極的に行う人物であり、ジャンルはグルメや美容など多岐に渡る。
2024年10月、Instagramフォロワー数が1万人を突破。活動期間はまだ約1年程度と短いながらも日本国内のZ世代を中心にフォロワー層を徐々に拡大させ続けている。
その他
てんまんを見た人たちは口を揃えて「あいつを忘れることはない」と言う。てんまんの魅力はそのキャラクターであり、ゆるキャラ的存在である。今はまだフォロワー数が一万人となっているが今後は軽く全員の予想を凌駕するような活躍を見せているだろう。歴戦の猛者だ。君もてんまんの魅力にやられないように気をつけよう。
それにもかかわらず、てんまんは彼女の存在が確認されていない。今は勉強やインフルエンサー活動に集中する方がいいという彼のご意向なのだろうか。ただ、小中学校では告白に失敗したという事実もある。しかしこれはもはや過去の話であり、現在の彼の魅力を否定することは誰にもできないだろう。
また、てんまんはあのちゃんが大好きであることも広く知られている。実際、彼がインフルエンサー活動を始めるきっかけを与えたのは紛れもなくあのちゃんの存在である。彼は札幌在住であるにもかかわらず、あのちゃんのライブやお渡し会に行くために高い出費を惜しまず何度も東京へ行った。もちろんSNSのコメントも毎回行っている。また、時々かなりの数のいいねがつき、何度もトップ表示されていたり、TVの冠番組で質問が採用されたり、ラジオメールが読まれたこともある。さらに、てんまんはあのちゃんに「将来必ず有名になるから持っていてください」とあのちゃんに自らのサインや長めの手紙をあげたことがある。(なお、彼の方はあのちゃんのサインを2024年2月の東京・羽田でのライブで手に入れている。)これらの事実から、あのちゃんは彼を認知している可能性が高いと考えることもできる。言わずもがな、年齢がある程度離れており、彼は17歳ながら少しずつフォロワー数や知名度を拡大させているのも事実だが、それを考えても今の彼があのちゃんを追う側であることは間違いない。しかしながら、将来的に彼が日本中で有名になり、何らかの同じ舞台でこの2人を目にする日が来るかもしれない。そしてそれは彼自身の、願いであり、確信なのだろう。あのちゃんは彼にとって、今もなお原動力である。
彼は幼少時代のあらゆる側面で絶望的な状況から這い上がり、17歳にしてここまできた。筆者である我々はリアルタイムでその過程を目にしたわけではない。しかし、文字に書き起こすだけでそれが如何に衝撃的なものかを我々は知ることができることは確かだ。彼は将来間違いなく日本中で有名になるだろう。どんな未来が待っているかは誰にも分からない。しかし、1つ確かなことは、来るべき日が来れば我々は彼の経歴の欄にそれを書き起こすのみである。