見ての通り、陸軍が海軍の方針に何かとケチを付ける様子を表現した言葉。
起源
このフレーズの元ネタはコーエーから発売されている『提督の決断』シリーズ(このセリフが登場するのは初代のみ)。
このゲーム(特にⅠとⅡ)では、プレイヤーは艦隊などの各種部隊を指揮して連合国の部隊と戦うほか、陸軍などの他の部署の代表との会議を毎月行い、月毎の作戦方針や予算・物資の配分などを決定しなくてはならない。そして会議中の陸軍は、ことあるごとに海軍の提案に反対したり(Ⅰ)、予算・物資・徴兵の議論の際に国力の維持を度外視した極端な提案を推してきたり(Ⅱ)、戦争を敗北へと導く厄介者という役回りとなっている。
まあ『提督の決断』は海軍が主役のゲームなので、陸軍の扱いが悪くなるのはある程度は致し方ない部分もあるのだが。
『提督の決断III』では、陸軍も戦力として活躍させることができる(陸軍の司令官も登場する)ので、こんなやりとりは見られなくなった。…が、『提督の決断IV』では陸軍の要素がリストラされてしまった。やはり海軍としては陸軍の運用に反対であるのだろうか。
陸軍としては海軍の概要に反対である
海軍としては陸軍の概要説明反対に反対である。
上述した通り、『提督の決断』シリーズが元ネタとなっているタグだが、『艦隊これくしょん』の隆盛に伴い、最近はその関連作品に使用されることも多くなってきている。さらに、この文言そのままに使われるだけでなく、微妙に改変したものも多く目立つ(例:陸軍としては海軍の提案に賛成である)。挙句の果てに、陸海軍とはまるで関係ない組織や人物が主語になっているパターンも存在する。
でも、『Ⅱ』の会議で陸海軍と駆け引きを繰り広げた総理大臣・大蔵大臣・外務大臣のネタが使われることはほとんどなかったりする。ネタにしてやるべきだと思うのは……ふむ、私だけか。
史実の陸海軍の関係
実際には人員・政治力に勝る陸軍がまず提議し、それに対して「合理的」を自称する海軍が「非合理的」な陸軍の提案を「修正」するという形で便乗して政府に要求を出すのが通例であった。
また、建軍以来英国海軍に範を取った日本海軍には「サイレントネイビー」、つまり「海軍は政治に関与せず沈黙を守る」という英国海軍の伝統も受け継がれていた。大正時代に汚職事件を起こした(いわゆるジーメンス事件)ことで政治に関わることを忌避する意識は更に強くなったとされるが、これが政治に対する無関心、それでいて海軍の権益は守ろうとする身勝手さに繋がったとの反省も残されている。
陸軍悪玉論
太平洋戦争敗戦後、敗戦の責任は陸軍の暴走がきっかけとの意見が一時期主流であった。これが陸軍悪玉論で、満州事変、日独伊三国同盟の推進、軍部大臣現役武官制を利用した倒閣など、陸軍の行動に日本が引きづられたという考えである。その考えでは、海軍は陸軍の横暴を止めるために行動した正義のヒーロー(海軍善玉論)であったが、止めきれずについに米国との開戦に至ったというのである。
太平洋戦争で日米戦を舞台にしたゲームは海戦が多いこともあるが、このような考えの影響もあって陸軍の扱いが悪くなっていることが考えられる。
「海軍としては陸軍の提案に反対である」
- 日露戦争の遼東半島旅順要塞攻略戦において、海軍は旅順艦隊の母港(旅順口)の攻略は海軍の管轄であるとして、陸軍の介入を拒んだ。
- 陸海軍で別々に航空隊を持っていたので空軍がなかった。
- ただしアメリカ軍もその頃は陸海軍そして海兵隊で別々の航空隊を持っており、陸軍航空隊が独立して空軍になったのは戦後のことである。イギリス軍はWWI末期に陸海軍の航空隊を統合し、空軍が誕生した(余談だがWWIの英海軍航空隊には何故か装甲車まで有する陸戦隊が存在し、内陸でも戦っていた。海軍航空隊とは一体……?)。しかし英海軍が空母を運用するようになると「空母の乗組員は海軍、艦載機のパイロットは空軍所属」というややこしい状態になったため、海軍航空隊が復活している。独立した空軍があった方が航空戦力を集中運用しやすいが、陸海軍の都合の良いように空軍が動いてくれるとは限らない。つまり「空軍としては陸海軍の提案に反対である」という事態が起きるわけだ。ドイツ軍などでは空軍と海軍が互いの作戦行動を知らなかっため味方艦艇を誤爆する惨事もあった。その点、陸海軍が独自の航空隊を持っていれば、自分たちの都合で航空兵力を動かせる。現に独立した空軍を持つ国(現代日本を含む)でも、地上部隊の近接支援を行うヘリ部隊は陸軍の管轄であることが多い。
- なお日本の場合、陸軍は比較的空軍設立に積極的だったが、堀丈夫中将(陸軍航空の先駆者で元陸軍航空本部長、「マッカーサー参謀」こと堀栄三少佐の義父)によると空軍設立の動きは「山本(五十六)に潰された」らしい。
- 陸海軍で別々に軍用機や新兵器(=原子爆弾等)を開発するので全く開発が進行しない。
- 陸海軍で採用した兵器の規格が異なっていたため、陸軍「弾切れになったから海軍の弾薬貸してくんね?」海軍「陸軍の大砲じゃ使えねーよバーカ。」という事が起きていた。ただし、同じような武器であっても用途が異なる為に仕様が異なったり別のものを使用するということは日本以外でも珍しくなく、陸海で仕様を無理に統一したためにどちらでも使い物にならない欠陥兵器ができ上がったという例も多々あるため、これ自体は一概に悪いとはいえない部分がある。
- また、補給システムも異なり、整備員も別の軍のものを整備するということはない為、一部の兵器以外ではあまり問題となっていなかったようだ。南方戦線で戦ったパイロットの自伝によると、陸軍の九七式重爆撃機と海軍の一式陸上攻撃機はエンジンが同じ(呼称は違うが)なので部品を融通しあったり、前線では仲良くやっていた例は多いらしい。
- ある企業が陸軍から兵器開発を受託されていると無条件に海軍に提出された開発案が却下される(逆もまた同様)。三菱重工業(海軍)と中島飛行機(陸軍)の話が有名。
- 「陸軍としては主にロシア・中国との戦争を考慮すべきと主張する。」
- 「海軍としては主にアメリカとの戦争を考慮すべきと主張する。」
- 「収拾がつかないので大本営としてはロシア・中国とアメリカを共に仮想敵国とするものである。」
- …言うまでもなく、それらの国を同時に相手できるだけの国力など日本には存在しない。アメリカのカラーコード戦争計画にも見られるように、複数の仮想敵国を想定しておくこと自体は必要だが、陸海軍での調整がうまくいかないまま準備不足かつ無計画な状態で満州国を建国し、国際連盟の調停を無視して日中戦争に突入する。
- その結果、対ロシア(ソ連)を前提に軍備や戦略を整えていた陸軍は膠着状態に陥るが、国際社会から孤立した日本は資源の入手が困難となってしまい、戦争を継続する資源確保のために南方へ目を向ける。
- 第一次世界大戦以降、列強国は軍拡競争による財政圧迫に耐えきれずロンドン海軍軍縮条約やワシントン海軍軍縮条約等で艦艇の増加を抑えており、日本海軍も同様だった。このため、日本本土周辺で米国海軍と決戦を行う事を念頭に計画を進めていたが、南方への進出に伴って太平洋に戦力を分散して米国と戦う事を余儀なくされる。
- 南方攻略の際には米国の攻撃拠点である真珠湾の戦力を壊滅させ、陸軍の目標である資源地帯攻略は成功するが、1942年4月に米国陸軍航空隊所属爆撃機を海軍空母に載せて「日本本土各地(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸、等)へ直接攻撃(ドーリットル空襲)」という事態を招いてしまう。これにあわてた大本営は、海軍へ日本本土、南方に続いて米国本土からの攻撃に対応させる事になり、急遽ミッドウェー海戦を行うが敗北する。
- 結果として、南方、そして本土へ爆撃可能な太平洋中部という、日本本土と比較して遥かに広大な範囲(絶対国防圏)を守らなければならなくなり、海軍に任せていて想定外だった太平洋の島々の防衛のために陸軍も大陸から兵力を分散して駆り出されるという本末転倒の事態に陥る。
- 準備不足の例としては、敵が上陸する時にどう戦えばいいかのマニュアルがなかったため、河川と同じように戦えばいいと思ったらアッツ島で玉砕してしまった。この後、陸軍は大慌てでマニュアルを作るが、その後、多くの島々を守備していた将兵の血の教訓を得て改良していき、硫黄島や沖縄戦で結果を見せることになるが、硫黄島では守備領域の考えで海軍がごねた結果、少ない戦力がさらに分断されるという悲劇にもつながった。
- この仮想敵国の話にはおまけがあり、第二次国防方針改定の際、当初の案では従来通り「露・米」の順で表記されていたが、対ソ優先(=陸軍優先)を不満に思った海軍がゴネた結果、改定を急ぐ陸軍が譲歩して「米・露」の順になった。
- ちなみに戦局も差し迫った1944年に、海軍の従軍記者(毎日新聞所属)が戦局の悪化を詳しく掲載、当時の首相である東条英機が激怒するという事態が起こっている。このとき海軍はこの報道を絶賛した(記事自体はあくまで戦争を肯定したうえで、制海権を奪回するには航空戦力が不可欠といったもの)。
- 航空火力を増強するには当然物資を海軍に注力しなければならないが、陸海軍の対立によりそれが不可能であったため、海軍にとってはありがたい記事であり、陸軍にとっては腹立たしい記事であった。
- 陸軍がこの記者を召集、いずれ最前線である硫黄島に送り込もうとしたが海軍の庇護ですぐに除隊、のちに「海軍報道班員」の名目でフィリピンに派遣されて難を逃れた。
結局
仲が悪いからこういう事(大東亜戦争突入⇒敗戦)になる。
日米の国力差を考慮すれば、仮に陸海軍の対立が無かったとしても長期戦になった時点でアメリカに勝てる可能性はほぼゼロだったとは言え、少なくとも、国が一丸となってアメリカに対抗しなければならない時に内輪もめで無駄なエネルギーを消費していたのでは、ますます状況が酷くなるのは言うまでもない。
「陸海内ニ争ヒ、余力ヲ以テ米英ト戦フ」(佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』文藝文庫、1999年、207頁)などと皮肉られるのも当然だろう。
付け加えると
古今東西どの国でも、こういった確執は見られる。
某国の海兵隊と空軍、陸軍、空軍などがいい例であろう。 ナチスの武装親衛隊、ドイツ空軍、ドイツ海軍、ドイツ陸軍もいる。
領分に加えて軍事費という予算を取り合う関係である以上、ある程度仕方がないことなのだろうが。
日本における歴史的経緯
そもそもの近代日本陸海軍の始まりは明治維新によるものだが、その初期は日本各地で士族を中心とした反乱が頻発しており、これらを鎮定する陸上戦力の整備が急務であった。そのため、当時の軍事予算の比率は陸:海=10:1と露骨なまでの差があり、また当時の海軍は陸軍の傘下にあってこの体制は日清戦争後まで続いている。
設立以来の海軍の最大の目標は「陸軍と同等の地位の獲得」であり、日露戦争直前の1903年の「戦時大本営条例」の改訂により陸軍参謀本部の統括下にあった海軍軍令部が独立し、「陸海並列」の悲願が達成された。
しかし、「戦時においても海軍軍令部は陸軍参謀本部に独立する」というこの改訂には陸戦の軍令と海戦の軍令の不統合という重大な欠点を含んでいた。従来のように参謀本部が陸軍に限らず戦争全体の軍令(作戦計画の立案、戦争指導)を司り、その長であるである参謀本部長が全ての軍令の責任を負うという陸海統合体制が崩壊したのだ。
それでも日露戦争時には山県有朋、山本権兵衛ら両軍のトップの協調や他の元老による調整、そして何より「この戦争に負ければ日本は消滅する」という強い危機感が国民の間にも広く共有されていたため、戦争指導自体はさしたる問題も無く進められた。
しかしこのようにソフトに頼った運用は明治の元勲達の死により限界を迎えた。両者の調整を担う機関として大本営が存在するとはいえそれは通常の国における統合作戦本部のようなものとは程遠い上、日本特有の問題として統帥権問題(帝国憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」と書いてあることから、陸海軍の統帥は天皇の大権であって余人が容喙できないと解釈された)が絡み、「陸海軍の強制的調整」ができる存在が天皇以外いないという状態になってしまった。
かくして両者は軍令面においてもその対立が表面化し、またそれぞれの内部でも下克上や対立が起きた(陸軍佐官クラスの陰謀による満州国の建国、将官クラスの形骸化が二・二六事件後に決定的になったこと、現場担当であるはずの連合艦隊司令部が独自の作戦計画(真珠湾攻撃)の立案及び脅迫による成立等)結果、陸海統合下の計画立案・戦争指導はもはや不可能となっていた。
このように日本海軍は陸軍から紆余曲折の末独立と言う背景、また陸軍と比べて世帯が小さいこともあって常に自分たちの存在意義を誇示する必要がある(でないと予算が取れない)との強迫観念に取り憑かれている傾向が強く、これも双方の不仲を助長してしまった。
日露戦争後の国防方針策定などその代表である。陸軍はまだ強力な兵力を残すロシアを仮想敵国としたが、海軍はすでにボコボコにしたロシアが仮想敵では予算が削られかねないとして取りあえず(つまり名目上)の仮想敵としてアメリカを選んだ(イギリスは当時同盟国、ドイツ・フランスは関係ない、ロシア・清国は論外)。この時点で意見が食い違っているのも大分問題だが、その後の両軍の立場維持に関する会議もさながら講和会議のごときひどい様相だった。
このようにほぼ打つ手はない状態ではあったのだが、一応一つだけ問題を根本的に解決しうる手段は存在している。ここまでお読みの方ならお気づきだろうが、『陸海軍の強制的調整ができる存在が天皇以外いないという状態』であれば、逆説的には天皇ならなんとかできた余地は残されていた。
そうなると当然、ではなぜ天皇は何もしなかったのかという疑問が浮かぶだろうが、これにも当然のっぴきならない事情が存在する。なぜなら、天皇は議会が動かないと動けなかったのだから。
と、書くと『戦前は天皇が神格化されており、絶対権力者だったのでは?』と疑問を抱く人もいるだろうが、実はそこに大きな勘違いが存在する。
まず、現在学校でも『戦前の日本は天皇が主権を持っており、議会は天皇の補佐に過ぎなかった。戦後に国民が主権を持つ立憲君主制に移行した』と教えられることが多い。これはあくまで制度としては間違った記述ではなく、法解釈上は天皇が議会の決定を無視して権力を行使できる状態にあったのも事実である。しかし、当の天皇自身が伝統的に『天皇は議会や大臣の輔弼を受けて政治をつかさどるものであり、その決定にも口を出すのは適切でない』と認識していたために事実上は近代的な立憲君主制度を採用していた状態にあったのである。
現に、当時の天皇は議会や軍の決定事項に意見は述べても明確に反対することは極めて稀であり、天皇自身が明確に政治・軍事方針へ意思を示したのは、大量の大臣たちを殺戮されて自身の政務が立ち行かなくなる危機に陥った二・二六事件において「軍が動かないのなら私自身が近衛兵を率いて鎮圧にあたる」とまで述べた一件や、ポツダム宣言受諾など極めて限られた機会のみであった。
このため、二・二六事件以来軍にビビりまくっていた議会や大臣たちが陸海軍の仲たがいに口など出せる状態でなかった以上、天皇が大っぴらに軍を統制することもまたできなかったのだ。
また、よく言われているような『天皇の神格化』も実際には終戦前10年間ほどの期間とされており、更にどちらかと言えば天皇を神格化して担ぎ上げることにより対立相手の反論を封殺するという天皇を奉ずる側の意図が色濃く反映されていた物であった。ここにおいても、神である天皇自身が権力を思うままにするといった状態では無かったのである。
つまりが、もうここまでくるとどうしようもないのである。
結局陸海軍が「一つの意思」のもとに服したのは、ポツダム宣言受諾における天皇の聖断に対してだけだったとも言える。
とはいうものの……
程度の差こそあるにしても、どこの国でも伝統的に陸海軍は仲が悪い。戦勝国の代表であるアメリカ合衆国もまたそうだったが、第二次大戦の場合更に政治家の思惑が絡んだ為対立が非常に激しくなっている。
太平洋戦争開戦時の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト(海軍次官経験者)と、陸軍参謀総長経験者で当時は予備役にいたダグラス・マッカーサーが政敵だったのは有名な話で、ホワイトハウスが太平洋方面の指揮系統の一本化をしなかったのも、マッカーサーの発言力が増してルーズベルトの再選を脅かすことを嫌ったことも一因とされる。
また、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツとマッカーサーも極めて仲が悪かった(というより、マッカーサーはその異常に高い自尊心とスタンドプレー好きから直属の部下以外からはほとんど嫌われていた)。太平洋戦域における全ての作戦権限を握ろうとしたマッカーサーとそれに抵抗するニミッツのいがみあいは至る所で発生しており、実際に作戦に齟齬をきたして無駄な損害を受けることも多々あった。
要するに、勝ったとはいえ、似たようなバカはやっていたのである。
ただ日本と違うのは、アメリカには大統領という強力な調停役(三軍トップの人事権を持っている。すなわち日本のようなことになれば喧嘩両成敗で両方の首を挿げ替えることもできた)が存在し続けていたことだった(前述のようにルーズベルトは海軍びいき、終戦近くに就任したハリー・S・トルーマンは陸軍びいきだったが)。 ちなみにホワイトハウスは前述の理由から太平洋方面の指揮系統の一本化をしなかったが、ルーズベルト大統領は米国の三軍トップからなる統合参謀長会議を作って自らに直属させることで第二次大戦中には早くも事実上の三軍統合指揮を行っていた。
……と、ここまでは良かったのだが、あんまりにトップダウン化を徹底した結果、今度はそのトップそのものが問題になった。後々合衆国憲法改正に伴い大統領の連選を2期に制限したことも加わって、戦争が長期化すると戦争をやってる真っ最中でも民主党から共和党へ、あるいはその逆と政権自体ガラッと変わってしまい、当然戦争の終結に対する方針も入れ替わる。
この為国防総省が提示できるウォー・プランは勢い“All or Nothing.”になってしまい、つまり相手に無条件降伏を呑ませるか、米軍が無様に撤退するかの2択になってしまうのである。アメリカがそれ以外の戦争終結法を模索すると日本ですら「それはないだろ」と思うほどグダグダになってしまうのはこの為なのだ。
結局第二次世界大戦の勝利で調子に乗った米軍のリセットもまたやはり敗北だった。朝鮮戦争では現場とホワイトハウスの思惑がすれ違って完勝できず、ベトナム戦争はファシズム政権そのまんまのゴー・ディン・ジェム政権に肩入れして、それがテレビで流れて国内からも反発が起こって挫折、そしてその後の軍備緊縮、イーグルクロー作戦の失敗やグレナダ侵攻での混乱により、派閥闘争の粛清が図られたのである。
ただし反省したのは上層部だけで現場単位の仲の悪さまでは是正されておらず、ことに海兵隊と空軍の仲の悪さは有名で、某県にはご近所さんのくせに絶対に行き来しない二つの基地が存在する羽目になっている。
つい最近にもアフガンでいつか見た光景が……
そして『提督の決断』ではアメリカ軍プレイもできるのだが、当然海軍作戦部長であるプレイヤーの提案を陸軍参謀総長がことごとく反対してくる。さもありなん。
蛇足だが、トルーマン大統領は副大統領候補時代から本格的な三軍統合の構想を抱いており、大統領に就任すると、すぐさまそれの実現に手をつけた。この時、海軍の強い反対という日本ならばそのまんまご破算になりかねない事態になったが、当時にはそれまで海軍の後ろ盾であったルーズベルトやフォレスタル海軍長官(後に国防長官)の病没、世界的な共産主義の台頭という状況もあってか、陸軍寄りのトルーマンはそれを押し切ってついに三軍の統合指揮機関、すなわち現在の国防総省を作ってしまった。
……が、大日本帝国陸海軍とは逆に現場・末端同士も仲が悪い(日本は陸軍は徴兵・海軍は志願兵がそれぞれメインだったが、徴兵でも職業軍人でも農家の長子以外の男児が主だったため、現場ではあまり対立しなかった)為、現在はこれにアメリカ海兵隊を加えた4軍で足を引っ張り合っている有様である。
なお、海兵隊は(組織運用上仕方ないとはいえ)自前で航空機を保有している。それも陸軍のようなヘリコプターや観測機程度ではなく、F-35のような最新鋭機(しかも海兵隊専用のB型)まで保有している。一応航空機関係は上部組織に当たる海軍の管轄なのだが指揮権は海兵隊にあるため陸軍や空軍からすれば面白くないのは言うまでもない。それどころか海兵隊の存在すら疑問視されることもある。海兵隊は“殴り込み部隊”という通称の通り、命令があれば数時間以内に、場合によっては外からの支援無しで自力で外征を遂行せねばならず、陸軍などの本隊が到着するまでの間補給線や橋頭堡の確保など小規模組織でありながら重要な任務を真っ先にやらなければならない以上自前である程度の事はできなければならないため仕方ない側面もある。
「──敗因について一言いはしてくれ 我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである 明治天皇の時には山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつた──」
────昭和天皇(皇紀2561-2649年)、敗戦に際して皇太子明仁(現・上皇)への手紙より一部抜粋。
まさに戦中の日本、そして第二次世界大戦後のアメリカの戦争でのテイタラクを説明できる一文である。
陸軍としては海軍の関連する絵画(イラスト)の紹介に反対である。
海軍としては陸軍の関連する絵画(イラスト)の紹介に反対である。
別名・表記ゆれ
関連イベント
陸軍としては海軍に関連するイベントに反対である。
海軍としては陸軍に関連するイベントに反対である。
関連タグ
陸軍としては海軍の提案に賛成である:双方の意見が一致した大変珍しい例。…いや、ぶっちゃけ最近では珍しくなくなってきている模様。
まるゆ・あきつ丸・神州丸:対立の産物(の一例)とされるが、実際は陸軍のプランを元に、海軍が設計・開発を(こっそり)サポートしていた。神州丸のダミー用煙突は、もとは海軍の伊勢型戦艦2番艦日向の2番煙突である。
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