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概要編集

チェスター・ニミッツは、アメリカ海軍の軍人。最終階級は元帥。真珠湾攻撃後の太平洋艦隊司令長官であり、太平洋戦域最高司令官として対日戦の勝利に貢献した。


人物編集

フルネームはChester William Nimitz【t͡ʃεstə(r) wɪljəm nɪmɪt͡s】。長男と区別するため「シニア」を付けることもある。


彼は1885年、テキサスのフレデリックスバーグにおいて、ドイツ系アメリカ人として生を受けた。もともとは陸軍士官学校への入学を希望していたが、推薦枠の関係で海軍士官学校へ行くことになる。士官学校卒業後、海軍では潜水艦に関する権威として活躍し、ガソリンエンジンからディーゼルエンジンへの転換、洋上補給技術の開発などにおいて主導的役割を果たした。戦艦部隊の司令官に任命されるなどエリートコースを歩み、第二次大戦前には海軍省航海局長(少将)として勤務していた。その人物鑑定眼は高く評価されていたという。


真珠湾攻撃後、キンメルとパイの跡を継ぎ、太平洋艦隊司令長官となるが、この際少将から大将へ一気に昇進している。さらに太平洋戦域最高司令官にも任命された彼は辣腕を振るい、無制限潜水艦作戦を展開、陸海軍の指揮官たちをよく制御して対日戦を勝利に導いた。1944年、海軍元帥に昇進。このときの序列は最先任のウィリアム・レイヒ(大統領付参謀長)、2位のアーネスト・キング(海軍作戦部長兼合衆国艦隊司令長官)に次いで3位であった。


戦後はキングの後任として海軍作戦部長に就任。軍縮ムードの中職務をこなし、原子力潜水艦「ノーティラス」建造の認可をするなど、最後まで潜水艦の発展に貢献した。1947年12月15日、海軍作戦部長の任期終了に伴い、事実上の引退を迎える。しかし、元帥は生涯現役であるため、その後も特別の待遇を受けている。1966年、80歳で死去。


東郷平八郎のファン編集

ニミッツは東郷平八郎を尊敬していた。東郷のかつての乗艦だった、戦艦三笠の保存活動に尽力したのも彼である。大戦後、荒廃していた三笠の現状に怒り、歩哨を置き、復興支援をしたほどであった。このエピソードのため、二次創作では三笠推しという面が強調されることがある。


ニミッツ級編集

彼の名を冠した空母に、ニミッツ(CVN-68)が存在する。エンタープライズに次ぐ2番目の原子力空母である。


階級について編集

ニミッツは代将(准将;Commodore,O-7)の階級にあったことはない。少将(2つ星;Rear Admiral,O-8)に昇進した当時、海軍には代将(一つ星)の階級が存在していなかったため、大佐(Captain,O-6)から直接昇進している。現在の米海軍では、少将を下級少将(Rear Admiral Lower Half,O-7)と上級少将(Upper Half,O-8)に分けて、かつての代将にあたる一つ星の階級を確保している。


関連タグ編集

アメリカ海軍 軍人 レイモンド・スプルーアンス ニミッツ級

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