曖昧さ回避
クレムソン級駆逐艦「チャールズ・オースバーン」
艦名はアメリカ海軍の兵士チャールズ・ローレンス・オースバーン(1889年7月26日~1917年10月17日)に因む。
1919年9月11日起工、1919年12月18日進水、1920年3月23日就役。
大西洋艦隊に配備。
1923年、水上機搭載の実験を行った。
1930年5月1日、退役。
1931年1月17日、売却された。
フレッチャー級駆逐艦「チャールズ・オースバーン」
艦名はアメリカ海軍の兵士チャールズ・ローレンス・オースバーンに因む。
1941年5月14日起工、1942年3月16日進水、1942年11月24日就役。
1943年4月1日、船団を護衛し、ニューヨーク港からカサブランカへ出発。
5月11日、ボストンで編成された第23駆逐部隊に配属。第45駆逐群旗艦となる。
8月27日、フロリダ諸島のパーヴィス湾を拠点に、日本海軍の東京急行迎撃に当たる。
10月23日、アーレイ・バーク海軍大佐が第23駆逐部隊司令官として着任。第23駆逐部隊は「リトル・ビーバーズ」のニックネームで呼ばれるようになる。
11月1日、ブーゲンビル島のタロキナ地区、ショートランド泊地を艦砲射撃。
11月2日未明、ブーゲンビル島沖海戦に参加。第23駆逐部隊は駆逐艦「サッチャー」が「スペンス」と衝突するなど混乱するが、日本海軍駆逐艦「初風」を撃沈。魚雷で損傷した駆逐艦「フート」を護衛してパーヴィス湾に帰投。
11月24日、日本海軍の東京急行を阻止するため出撃。
11月25日未明、第23駆逐部隊がセント・ジョージ岬沖で日本軍のブカ島への輸送部隊を攻撃し、駆逐艦3隻を撃沈(セント・ジョージ岬沖海戦)。
1944年2月18日、カビエンとセント・ジョージ岬を艦砲射撃。
3月27日、パーヴィス湾を出発し、第58任務部隊に合流。
6月6日、第58.4任務群に編入され、マリアナ諸島へ向けて出撃。
6月19日、マリアナ沖海戦に参加。「マリアナの七面鳥撃ち」に加わる。
12月10日、ミンドロ島の戦いの支援のためウルシー環礁を出撃。
1945年1月7日夜、駆逐艦「ラッセル」、「ブレイン」と共にリンガエン湾への輸送船団を護衛中にレーダーに捉えた艦影を調査に向かい、日本海軍駆逐艦「檜」を撃沈。
3月、ミンダナオ島で夜間照明と艦砲射撃に当たる。
8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏。
9月10日、帰国のため沖縄を出発。
1946年4月18日、予備役となる。
1960年4月12日、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)海軍に移籍。「Z6」(第6駆逐艦)となる。
1968年10月、除籍。廃棄された。