概要
フルネームは、クラレンス・ウェイド・マクラスキー・ジュニア(Clarence Wade McClusky,Jr)で、ニューヨーク生まれのアメリカ海軍のアビエーター(航空機操縦士)。
なにしろ、この人一人の指揮によって、当時の一航戦の主力が全滅してしまったのである。
空母エンタープライズのミッドウェー海戦における活躍は、この人の武勇伝だと言っても過言ではない。
略歴
1902年生、1976年没。最終階級は二つ星の海軍少将。
太平洋戦争の開戦時には海軍大尉として、空母エンタープライズを母艦とする第6航空群に所属し、艦上戦闘機隊であるVF-6の隊長を務めていた。
目印のない洋上を単座の戦闘機で無線誘導によって飛べるだけの実力があるアビエーターで、第6航空群への配属前には海軍士官学校で教官をしていた時期がある。
1942年4月に海軍少佐へ昇進、空母エンタープライズを母艦とする第6航空群司令に任命された際、SBDに乗り換え、1942年6月5日のミッドウェー海戦での活躍で後世に名を残した。
そして、ミッドウェー海戦後に護衛空母の艦長として第6航空群を離れるまで航空群の中核を担った。
太平洋戦争の終結後、アメリカ海軍第7艦隊の首席参謀になり、朝鮮戦争に従軍した。
朝鮮戦争の後、本土にある海軍航空隊の基地司令になり、1956年に海軍を退役した。
退役時は准将に相当する一つ星の海軍少将であったが、ミッドウェー海戦での活躍を評価されて特進、アメリカ海軍における特定の役職との紐付けがない階級としては最高の二つ星の海軍少将まで上り詰めた。
航空部隊指揮官として、自らの現場指揮によって1回の作戦で空母3隻を沈没に至らしめたのは彼しかいない。
創作物への影響
ミッドウェー海戦において、自ら艦上爆撃機隊を率いて出撃、南雲機動部隊主力の撃滅というアニメか小説まがいのことを現実にやってのけてしまったこともあり、ミッドウェー海戦を題材とする架空戦記では人間離れした武運に恵まれた空母エンタープライズの航空群司令としてたいてい登場する。