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エルネスティーネ

えるねすてぃーね

実在する女性オペラ歌手。 一度目の結婚で4人の子供をもうけるが、公務員の仕事で住む場所を離れていった夫との間は冷め気味。そんな夫の事をエルネスティーネは次第に拒むようになっており、後に離婚。 2人目の夫(3人の子供を授かる)とは、死が2人を分つまで幸せに暮らす。

エルネスティーネ・シューマン=ハインク(Ernestine Schumann-Heink, 1861年6月15日 - 1936年11月17日)、巧みなコントロールと優れた音色、美声と広い音域によって著名なコントラルト。

旧姓は「レスラー」で、少女時代はエルネスティーネの縮小形による愛称により、ティニと呼ばれていた(Tini Rössler)。


プラハ近郊のドイツ語圏である小都市リーベンにオーストリア人として生まれる。

靴職人の父親ハンスは、以前はオーストリアの騎兵隊に仕官していたが、19世紀にオーストリア領であったイタリア北部に駐在中に、シャルロッテ・ゴルトマンと出逢い、結婚しリーベンに連れ帰った。

エルネスティーネがまだ3歳のとき、レスラー家はヴェローナに転居。1866年に普墺戦争が勃発すると、一家はプラハに逃げ延び、エルネスティーネはその地のウルズリーネ女子修道会の附属学校に入学。


終戦後に一家はクラクフ近郊のポドグロズイ(Podgrozj)に移り住む。エルネスティーネが13歳になる頃、今度はグラーツに引っ越した。

この地で彼女は、引退中の元オペラ歌手マリエッタ・フォン・ルクレールに出会い、声楽の指導を受けるようになる。


1877年にグラーツで、ベートーヴェンの《第九》でコントラルトとして歌手デビューを果たす。

翌1878年10月15日、ドレスデン宮廷歌劇場で《トロヴァトーレ》のアズチェーナ役でオペラ界デビュー。


そんな折に1882年、同歌劇場の秘書エルネスト・ハインクと結婚し、4人の子をもうける。これによってハインク夫妻の契約期間が脅かされるようになり、2人して同歌劇場の職を間を置かずに去ることとなった。

夫は地方の税関に職を得て、間もなくハンブルクへと移る。

エルネスティーネはドレスデンに留まり続けて歌手活動を続けたが、ようやくハンブルク歌劇場に地位を確保したときには、夫を拒むようになっていた。


夫エルネストは、ハンブルクの政官界からザクセン人が追放された事に伴い失職し、仕事を探しにザクセンへと旅立って行った。

エルネスティーネは身重であり、夫について行かなかった。


1893年に離婚が成立すると、同年に俳優パウル・シューマンと結婚してシューマン=ハインクと名乗るようになり、さらに3人の子供をもうけた。今度の結婚生活は、1904年に夫パウルと死別するまで続いた。


1936年に白血病により急逝。


◆以下出演オペラ◆


《ローエングリン》オルトルート

《ワルキューレ》フリッカ/ヴァルトラウテ

《ラインの黄金》エルダ/フロースヒルデ

《ジークフリート》エルダ

《神々の黄昏》ヴァルトラウテ/第1のノルン

《トリスタンとイゾルデ》ブランゲーネ

《さまよえるオランダ人》マリー

《預言者》フィデス

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》マクダレーネ

《ウィンザーの陽気な女房たち》ライヒ夫人

《タンホイザー》羊飼い

《ヘンゼルとグレーテル》魔女


◆余談

スクウェア・エニックスのホラーミステリーADV『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』の登場人物、

櫂利飛太(かいりひた)の個人事務所・アオサギ探偵堂で飼っている愛鳥(セキセイインコ)の名前である。

作中では、この利飛太の愛鳥が「エルネスティーネ」という名前である理由は特に明かされていない。

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