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山口俊一

やまぐちしゅんいち

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。内閣府特命担当大臣(第2次安倍改造内閣)。財務副大臣(第2次安倍内閣)、内閣総理大臣補佐官(麻生内閣)などを歴任した。

来歴*

1950年、徳島県三好郡池田町(現・三好市)に生まれる。

徳島県立城南高等学校(在学中はハンドボール部に所属)、青山学院大学文学部を卒業後渡仏しパリ第4大学に留学するが政界入りを決意し同校を中退。

1975年、25歳で徳島県議会議員に初当選、以後4期に亘り県議を務める。県議在職中には分裂していた自民系会派の合同に手腕を発揮し県議で盟友だった七条明(後に衆議院議員)とともに地歩を固める。

1990年、森下元晴の地盤を継承し徳島県全県区から衆議院議員に初当選、以後連続当選8回。所属派閥は中曽根派→渡辺派→無派閥→麻生派。

当選後は主に郵政族として活躍し第1次橋本内閣で郵政政務次官を務めたほか自民党通信部会長、総務副大臣など郵政・情報通信分野に携わった。

小選挙区制度移行後は徳島2区を地盤としていたが2005年の郵政民営化関連法案に反対したため直後の選挙では自民党の公認を得られず無所属で出馬する。山口に対し古巣の自民党はかつての盟友だった七条を「刺客」として擁立するが民主党の高井美穂らとともに破り6選を果たす。

翌年12月、安倍晋三総裁(当時)の意向により他の10人の郵政造反組とともに自民党へ復党する。

2008年9月、麻生内閣で内閣総理大臣補佐官(地方再生担当)に就任。在任中には平成21年度予算の審議入り前に同予算の補正予算について言及し野党の反発を招いた。

2012年の自民党総裁選では所属する麻生派の安倍晋三支持の方針に反し石破茂を支持する。

同年12月に発足した第2次安倍内閣では総務大臣就任を有力視されたが入閣は果たせず財務副大臣に就任。石破を支持したことが領袖である麻生の不興を買ったためとも言われた。在任中にはたばこ税増税に慎重な発言を行っている。

2014年9月、第2次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・科学技術政策・宇宙政策)情報通信技術(IT)政策担当、再チャレンジ担当、クールジャパン戦略担当として初入閣。入閣後にはインタビューで沖縄独立論について言及し物議を醸した。

同年12月、第3次安倍内閣でも再任。再任にあたって内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)にも補任された。

2015年2月、衆議院議員在職25年に達し、永年在職表彰を受ける。


人物*

・郵政族として知られ、郵政・情報通信分野に明るい。また林野政策に影響力を持っていた森下元晴の後継ということから林野行政にも関係が深い。

・クールジャパン戦略担当大臣を務め、会見できゃりーぱみゅぱみゅやお台場のガンダムなどについて触れたこともある。

・滞仏経験からフランス語が堪能である。

・弟は予備校講師のやまぐち健一。河合塾や東進ハイスクールで物理を教えていたほか、ネット上ではニコニコ動画の「一ミリも受けたことない物理の授業をアフレコしてみた」で有名。しかし2018年に体調不良の為両校を退職し、その後死去したことを元同僚の講師が明かしている。

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