実家は米屋で、日大豊山高校⇒日大法学部出身。
1971年に萩本欽一に弟子入りを求めて押しかけ、3日間いた後萩本の一言から浅草修行を10年を経て戻った。以降欽ちゃんファミリー入り。
『欽ちゃんのどこまでやるの!』「村の時間」のコーナーの仕切り役「たよりないアナウンサー[3]」、『クイズ・ドレミファドン!』のリポーター「セイロクマン」が当たり役となり、ボケキャラで当時の人気お笑いタレントの一員となった。
しかし1996年以降は単発番組にしか出ていない。
音の高さや音程を全く取れない、極度の音痴としても知られている。テレビ番組で音痴を矯正する企画に出演したことがあるが結局治らなかった。
萩本欽一にとって『欽ちゃんファミリー』は、あくまで萩本欽一のテレビ番組で芸能人としての能力を見出された、あるいは育てられた人物の集まりであって、師弟関係ではない。また弟子は取らなかった中で近年になってただ一人の”弟子”として認めている。
事務所は浅井企画を経て独立、個人事務所「清六企画」所属。