コメント
八重子
2015-09-06 22:44:06
結喜しはや氏は『永倉新八をめぐる女性たち』にて「お磯は江戸へ行くことなく、乳母である岡田貞子と喜助夫婦のもとで、岡田磯子として育てられることになった。」と書いており、『永倉新八と小常・礒』でも「直後に勃発した戊辰戦争が大きな理由といえようか、イソは江戸に行くことなく、乳母と思われる岡田貞子と夫喜助夫婦のもとで、岡田磯子として育てられることとなる。そんな礒子の戸籍の生年月日が、「慶應三年二月二日」と記されているというのも、何か理由があってのことかもしれない。」としていました。
「売られた可能性は100%ない」と言い切れるような情報は見つかりませんでしたが、「状況的に江戸へ行くことを断念した夫婦がそのまま養子とした」と考えた方が自然かと思います。
Mya
2014-07-11 04:41:39
>八重子様
長倉嘉一郎がお磯の行方について知らぬ旨、「出典」にある四書のいずれかから引用しましたが、「売られた」事については(予想される)ともあります通り私の推測です。是非、正しい記述をこの事典に加えて下さいませ。
八重子
2014-07-06 08:14:23
>(後年、動乱を生き延びた永倉が長倉嘉一郎にお磯の事を尋ねると存ぜぬという回答が出た為、手渡した五十両を着服してお磯は売られたのだろうと予想されている)
『新選組 永倉新八のすべて』では「岡田氏を名のっていることから、その後も乳母に養われたものであろうか」とされていたのですが、この「売られた」説の出典は何なのでしょう?