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Bf110の編集履歴2022/05/04 10:53:20 版
編集者:マー坊
編集内容:大項目に「搭乗した撃墜王」の項目を作成。

Bf110

びーえふひゃくじゅう

ドイツ、バイエルン航空機の開発した戦闘機。戦間期に流行した『双発戦闘機』であり、もちろん単発・単座の戦闘機には太刀打ちできなかった。以降は東部戦線で戦闘爆撃機として使われ、戦争後期には夜間戦闘機としても使われた。

『双発・万能戦闘機(ドイツ版)』

戦間期、全世界の空軍では双発戦闘機が流行していた。

もちろんドイツにもその波は押し寄せ、

ヘルマン・ゲーリング長官の肝いりで開発が始まった。

開発は7社から開発プランが寄せられ、

中でもヘンシェル、フォッケウルフ、バイエリッシュ航空機の3社の案が試作される運びとなった。

バイエリッシュ航空機の試作機が採用されることになったが、

これは要求仕様に従わずに爆弾倉を備えなかった機である。

政治的圧力、ならびに高性能が実現の後押しとなり、1936年5月12日に初飛行を遂げた。

性能は良好なもので、

当時のBf109試作機)が最大470km/hなのに対して、こちらは509km/hを記録した。

1937年には制式採用が決まり、『駆逐機』として期待がかけられた。

駆逐機と電撃戦

Bf110は電撃戦と共に発展した。

1938年の終わりにはDB601エンジンが完成し、本来の性能を発揮できるようになった。

Bf110C-0は最高速度545km/hを記録しており、

さらに7.92㎜機銃4門と20㎜機銃2門を機首に装備している。

これは絶大な火力という事ができる。

ポーランド侵攻から実戦に参加し、対地攻撃を得意とする戦闘爆撃機として活躍した。

ただし戦闘機相手ではそうもいかず、

1940年の『バトル・オブ・ブリテン』では一方的なまでの惨敗を記録している。

戦闘機としては重量がありすぎ、軽快な単発戦闘機に太刀打ちできなかったのだった。

Bf110の評価

諸外国でも同様の結果が出ているため、思想自体が失敗であることは否めないが、

Bf110単体の評価として見た場合、若干不当な面がある。

というのも、Bf110自体、その形式号がバイエリッシュ社時代のものであることからわかるように、

そもそもJumo210、DB600の世代の機体であり、

バトル・オブ・ブリテンの頃には旧式化していたのだ。

(日本で言えば九七戦九六艦戦の世代の機体である)

Bf109はうまくDB601以降の世代に適応することに成功したため錯覚しやすいが、

相手はスピットファイアにしろハリケーンにしろ、

最初から(DB601、Jumo211と同世代の)ロールスロイス『マーリン』を前提として設計された機体だから、

Bf110が歯が立たなくてもしょうがなかったんである。

むしろノルウェー進攻までよく働いたものである。

双発戦闘機の生きる道

ただし、前述のとおり戦闘爆撃機としてなら存分に活躍している。

地中海アフリカソビエト(東部戦線)では長い航続距離を生かして対地支援に奔走した。

もちろん一撃離脱戦法は得意であり、これを生かせば戦闘機を撃墜する事も出来る。

Bf110C-4/Bは爆弾を搭載できる戦闘爆撃機として改修されており、

以降の型はこれに倣うようになる。

続くBf110Eはエンジンを換装した改良型で、搭載量を強化している。

さらに最終型となる(はずだった)Bf110Fは更なるエンジン強化で、防弾が厳重になった。

しかしBf110の要求されたアフリカ戦線では、

単発でBf109やFW190と互角以上の格闘戦ができてなおかつ航続距離はBf110より上

という、F4Fワイルドキャットというイヤーンな機体が出張ってくるようになるのである。

ちっとは同盟国を頼れや

Me210(失敗作)

Bf110のあゆみはF型で終わりになる筈だった。

しかし後継機たるMe210開発に失敗し、Bf110は引き続き使われることになった

なお、Me210は操縦性や安定性に欠陥があり、

テストパイロットからは『胴体を延長して安定性の向上を!』と再三にわたって指摘されていた。

しかし開発は強行され、生産もされて1941年末からソビエト方面で活躍した。

だが操縦性や安定性の欠陥はそのままにされており、

実戦の現場では事故が多発した。

1942年4月には生産が中止され、実戦部隊からは引き揚げられることになった。

さて問題の欠陥だが、結局どうやっても他の手段で解決できず

最終的には胴体や主翼を延長して安定性を確保する事になった。

エンジンを換装して強化された型が「Me410」となり、生産された。

あるべきだった姿……

さてこの頃になると、アメリカ軍が北アフリカにやってくる。

海軍の空母から飛び立つF4Fがイヤーンな存在になったのは先の通りだが、

米陸軍はP-38ライトニングという双発戦闘機を投入してくる。

このP-38、元は高々度迎撃機として開発が始まったものだが、

実際には長大な航続力を持ち、迎撃のほかに、爆撃機の護衛、対地支援、と、

何でもござれの万能振りを見せた。

あれがBf110のあるべき姿だったのに……どうしてこうなった

さらに生きる道

さて鳴り物入りで登場し、欠陥がアダとなって引込められる事になったMe210だが、

問題はそのあとの穴埋めとなった。

対策としてBf110(当時にはMe110)が再生産されることになり、

更なる改良・強化型のBf110Gが登場した。

この型はエンジンが換装されてDB605となっており、これはBf109Gと同じエンジンである。

最高速度は550km/h(レーダーなし)を発揮でき、Bf110Fまでが担当した役回りをすべて受け継いだ。

この頃にはドイツ本土も空襲を受けるようになっており、

本来の用途に近い爆撃機の迎撃任務にも多くが宛がわれている。

夜間戦闘機としては既にBf110F-4が活躍しており、G型系統も迎撃機として投入された。

G型には従来通りの戦闘機型(G-1)、

昼間の戦闘爆撃機・迎撃戦闘機型(G-2)、

偵察機型(G-3)、

そして夜間戦闘機(G-4)がある。

後にこういった用途は別の機が引き継いでいく事になるが、

すでに生産体制が確立していたBf110は夜間戦闘機や偵察機など、割と長く使われている。

そのあとのその後(Ju88の活躍)

ただし性能は1944年には旧式化しており、Ju88戦闘機型(C型・G型)が後を受け継いだ。

特にBf110G-4はレーダーのアンテナが空気抵抗となって性能を落としており、

(レーダーを装備すると500km/h程度まで低下したという)

速度に優れたJu88は夜間戦闘機としても活躍している。

さらなる高性能を求めてHe219も開発されていたが、

Ju88はすでに生産体制が確立しており、数を揃えられる。

・性能的には確かに下だが、乗員の訓練などでは有利。

(今までに訓練した乗員がそのまま使える)

などの理由でJu88は主力の座に留まり続けた。

搭乗した撃墜王

ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー:所属した基地の場所から、「サン・トロンの幽霊」として連合国軍に恐れられた夜間戦闘の撃墜王。

夜間戦闘機であるG-4型に乗り込み、夜間戦闘のみで121機を撃墜した。

夜間戦闘における撃墜数ではドイツ空軍第1位である。

Bf110の編集履歴2022/05/04 10:53:20 版
編集者:マー坊
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