概要
日本航空機製造(現在解散)が製造した日本の戦後初の国産プロペラ旅客機である。
1962年8月に試作機が初飛行。1965年4月に日本国内航空(のち東亜国内航空、日本エアシステムを経て現在の日本航空の前身のひとつ)の羽田-徳島-高知線で旅客輸送に就役した。
1972年に生産打ち切り。2006年9月末で日本エアコミューター(JAC)所属機の引退をもって国内での民間旅客機としての運用は終了した。
現在、日本国内では航空自衛隊・海上自衛隊で運用されているほか、国外の航空会社で使用が続けられているところがある。
逸話
ダカール空中衝突事故
1993年12月10日、セネガルのダカール上空でガンビア航空所属のYS-11がエア・セネガル所属のデ・ハビランドDHC-6と空中衝突を起こした。DHC-6は墜落したが、YS-11は軽度の損傷で無事着陸した。
YS-11とDHC-6では機体のサイズに差があるのは事実だが、軍用機と異なり旅客機は大型機であっても構造は脆弱であり、ボーイング727が訓練用の小型レシプロ機と衝突して墜落したこともある。
それらの事実から踏まえて、この事故はYS-11の異常さを証明する最も端的なものとなった。