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概要編集

MRJ(Mitsubishi Regional Jet)は、三菱グループの三菱航空機ほかが開発していた小型旅客機

1972年に生産終了となったYS-11以来、約40年ぶりに日本が独自に開発した旅客機(ジェット機としては初)となる。座席数は70~92席クラスで100席以上のストレッチタイプも計画され、短距離輸送需要に重点を置いていた。


既に全日本空輸全日空ANA)などが導入を決定していた。更には日本航空JAL)も2014年8月末に導入を決めたものの、並行してブラジル・エンブラエルERJシリーズ(現在使用中のジェット機)の追加発注を行っていた。


2008年にプロジェクトがスタートし、この時は2011年に初飛行、2013年には営業運航を開始する、としていた。しかし上記の通り半世紀近くもブランクがあっては旅客機開発のノウハウはないも同然であり、開発は難航

胴体と主翼の設計変更に伴い、初飛行を2012年、初号機納入を2014年に延期、更に2012年4月には開発や製造の進捗状況が遅れたため、初飛行を2013年、初号機納入を2015年半ばから後半に延期した。2014年10月18日に初号機が完成。そして2015年11月11日、県営名古屋空港で初飛行を行った。

しかし2017年1月20日にはまたしても設計変更が必要となり、ANAへの初号機納入は2018年から2020年半ばに延期となった。


2016年6月、標準型のMRJ90に加え、アメリカ市場向けに70人乗りバージョンMRJ70の試作機の製造を始めた事を明らかにした。2017年3月、2018年にも完成させる方針を示したが、こちらも開発が進まないでいた。


度重なる開発の遅れで発注をキャンセルする航空会社も現れる中、2019年6月に三菱スペースジェット(MSJ)へ名称変更され、MRJ90を「スペースジェットM90」、短胴派生型のMRJ70を「スペースジェットM100」へとそれぞれブランドを変更した。一方、同月にで親会社の三菱重工がカナダ・ボンバルディアの小型機事業を約5.5億ドル(約590億円、2億ドル〈約210億円〉程度の債務も引き受ける)で買収も発表された(ジェトロのHPより)。


そうこうしている内に新型コロナウイルスの流行により世界的に航空需要が激減してしまい、2020年5月22日、開発中止も視野に含めた計画そのものの大幅見直しが行われている事が報道され、10月にはプロジェクトが事実上凍結された。型式証明の文書作成プロセスは継続するものの、製造や飛行試験は全て中断、再開のための事業環境の整備に取り組むとしているが、2021年には三菱航空機が2年連続で過去最大の赤字を計上している状態で、先行きは不透明なままだった。


そして2023年2月6日、三菱重工はMSJの開発を中止する方針を固めたと報じられた。当初、同社はこの報道を否定していたが、翌日には公式に開発中止を発表

日本初の国産ジェット旅客機、そして「YS-11以来の国産旅客機、即ち日の丸航空機を再び空へ」という願いは夢と消えたのだった…

なお、開発経験はの3ヶ国で共同開発される次世代戦闘機へ生かす方針と発表された。

失敗の原因編集

開発に四苦八苦している所を新型コロナに追い打ちをかけられた形で開発中止となったMSJは、国からの助成金も含め一兆円以上という膨大な開発予算と設備投資を投じたにもかかわらず、完成したのは10機にも満たない試験機だけ、そして自前で大型民間ジェット航空機を開発する能力の欠如という疑いようのない現実を内外に無様に晒す惨憺たる結果に終わった。


このまま開発が続き、無事に量産初号機が納入出来ていたとしても、本来の納入予定時期より既に10年も遅れており(機体自体の設計も具体化したのは18年も前の2005年であり、既に新しい物とはいえなくなっていた)、当初期待されていた燃費性能等のアドバンテージもとうに失われていた。仮に納入出来たとしても早晩に陳腐化する可能性が高く、どちらにせよ採算が取れる見込みは無かったと思われる。そうした事からも、今回の開発中止はやむを得なかったといえる。


元を辿れば、日本の民間航空には、

  1. そもそも戦前から商用民間の旅客機として小型機以外の開発設計の経験が圧倒的に少なく中型機以降はほぼ軍用を仕立て直したか国外の旅客機を仕立て直したかの二択であった、このためこのサイズの純粋な民間機の開発経験は戦前から足りない状態だった。
  2. 敗戦後にGHQによって航空機開発を禁止された事で、航空機の開発ノウハウがリセットされてしまった上に、その間に人材が車会社などへ流出。よって開発製造するのは国家予算を投入出来る軍用機ばかりになり、民間分野は置いてけぼりにされてしまった。その軍用機ですらアメリカ機のライセンス生産で技術を再取得しなければならない程の技術格差が生まれていた。民間では後述の理由で採算が見込めなくなり影響をもろに受けてしまった。
  3. YS-11の後継機開発が頓挫した事で技術の蓄積と継承が途絶えた事。YS-11は、旅客機としての設備や機材こそ備えるものの、根幹となる機体構造は軍用機のそれであり、軍用機の技術を旅客機に転用したともいえる、旅客機としては過渡期の物で、本来ならば純粋な意味での旅客専用の航空機開発のノウハウをこの時点で獲得しておかねばならなかった。その後もYX計画等、旅客機を開発する動きはあったが、実質的に下請けの役割に過ぎず主体的な開発は出来なかった。
  4. そもそも戦後の日本は鉄道網の発達で、自家用飛行機やビジネス機と言った技術的にも簡単な小型飛行機ですら需要が少なく、海外のライバル会社のようにこれらの製造販売から始めて技術を磨く事が出来なかった事。故に同時期のHondaJetはアメリカで生産と販売を展開する、設計日本・製造アメリカの飛行機となった事で型式証明の取得も迅速に進み、商業的にも成功を収めた。

これら80年近くも前から続く大きなハンデがあった以上、MSJの成功は構想段階から絶望的といえる物だった。


上記の経緯も経験もあり、本来であれば外部から技術者(特に航空証明やFAAとの関係性もあるボーイング社)の招聘等も考慮されていたのだが、技術者自体すら国産に拘り、加えてよく言えば職人気質、悪く言えば閉鎖的な三菱の社風で海外経験者のアドバイスを三菱側の技術者が一切聞き入れず、5度目の延期でようやくボーイングやボンバルディアといった海外企業の技術者やマネージャーを正式に採用したが、既に試作機も飛んで今更設計変更が難しく、後戻りも修正も不可能な状態になっていた(つまりYS-11の時と同じで軍用機しか経験がないのに自力のみで設計して案の定航空証明で難航するなど、同じ失敗を繰り返している)。


MSJ開発中止の直接的な引き金は新型コロナだが、それは最後の一押しに過ぎなかったのだ。仮に新型コロナがなかったとしても、遅かれ早かれ開発中止は避けられなかっただろう。


結文 国産航空機の落日…?編集

MRJの開発失敗という結末は、結果として「航空技術大国日本は只の幻想であった」という残酷な現実を内外に示す事となった。


これは日の丸航空機の落日を意味するのだろうか?

いや、敢えて言うならば、

「日は落ちてなんていない。そもそもあの敗戦以前から日の丸航空機という太陽は初めから昇ってなどいなかった」だけなのである。



結局の所はどれだけ技術があっても民間航空機で世界に挑んだ経験の無さを自覚しなかった故の失敗だったのだ。

故に『FAAの型式証明』は取れなかったが、『本当に問題なく飛ぶ飛行機を作る』という技術力があった事は忘れてはいけないのだ。

余談 当時のアメリカ連邦航空局とボーイングの忌み子編集

ここからは日本におけるMRJから外れて、当時のアメリカでの話をする。


当時のFAAは上から下までボーイングのOBが入り込んでいたと文字通りの天下り先となっており、ほぼボーイングの言いなりになっていた。加えて「航空機製造会社の自主性を重んじて裁量を大きくする」という方針を取り始めてからは半ばやりたい放題だったようだ。


そんな時期の真っ只中、MRJの型式証明取得機が名古屋空港で初飛行した3年前の2017年に型式認証をされた機体というのが、ライオン・エア610便墜落事故エチオピア航空302便墜落事故の原因となった悪名高きMCASや、2024年1月で起きたアラスカ航空1282便緊急着陸事故から端を発するボーイングの品質管理に深い疑念をもたらしたボーイング737MAX』であった。


なお、この737MAXは機体性能の向上のためエンジンの大型化をしていたのだが、離陸時に機首を大きく持ち上げると機体特性も大きく変化しており、それを緊急時の機能であるはずのMCASで強引に押さえつけるというある意味別の機体であった。

にもかかわらず、ボーイングは『737MAX-8はこれまでの737シリーズと大きな差はない』とFAAに説明し、FAAもこれを鵜呑みにし型式証明をしていたのである。


これが公の場で調査報告書の形で指摘されたのは2020年9月。MRJ凍結を視野に入れた最終調整を始めた1ヶ月前の事であった。


一緒くたに『三菱が悪い』『始めから駄目だった』と片付けるのは簡単ではある(実際、三菱側にも落ち度はあるし、2015年に証明が取れたHondaJetのようなケースもある)が、一歩下がってアメリカ側の事情も鑑みるのも大事だろう。

結文のその先…?編集

令和6年(2024年)3月27日

経済産業省が、民間企業による次世代の旅客機開発を支援する方針であると発表した。MSJ(旧MRJ)が開発中止となった経緯を踏まえ、2035年ごろをめどとして複数の社による開発を目指す。次世代機の再開発を含めた航空分野の脱炭素に向け、今後約10年にわたり官民で5兆円程度を投資する計画である。


現在想定されている計画では、ジェットエンジンを使用するジェット機ではなく、脱炭素に向けた需要を踏まえて水素などを動力とする機体を想定している。


MRJでは、政府の介入はあくまで資金援助などの分野を主とし、機体開発は三菱航空機などの民間企業に一任していたが、今後は積極的に官民一体となって次世代機の開発に邁進すると思われる。ただ、この戦略が吉と出るか凶と出るか、今はまだ予断を許さない。


YS-11の栄光よ再びか、MRJの二の舞いか、日の丸航空機という太陽が未だ昇らぬ中、傷つき折れた翼は再び空を目指す。闇夜を、霧の中を、嵐の中を。

関連タグ編集

旅客機 航空機 リージョナルジェット

百式輸送機…民間向けのMC-20はいわば本機の元祖。

YS-11…戦後初の国産旅客機。

HondaJet…MRJの競合機ではないが、同時期に日本の設計で成功した航空機。

コンコルド効果…やめられない理由。

ライバルと目されていた機種編集

ボンバルディア CRJ700

エンブラエル ERJ170/ERJ175

外部リンク編集

公式サイト

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