概要
日本陸軍の主力重爆撃機になりつつあった九七式重爆撃機をベースに開発され、1940年に初飛行に成功した。
九七式重爆撃機では胴体の中程に主翼を配置していたが、物資や人間を乗せるためにそれを胴体の下に移している。
爆撃機としては足の速さで定評のあった九七式重爆撃機の特性を受け継ぎ、最大速度は時速470キロを誇った。これは、ダグラスDC-3(C-47)の最高速度・時速365キロよりも早かった。しかし、旅客機としては11人しか載せることが出来ず、その点ではDC-3に劣った(ちなみにDC-3は21人または28人)。
開発メーカーであった三菱重工業で1940年から1944年にかけて(後述のMC-20を含めて)507機生産された。1945年に日本國際航空工業(第二次世界大戦敗戦により航空機を作れなくなってしまったため日國工業と改名、その後改めて新設された新日国工業に吸収合併され消滅。ちなみに新日国工業は現在の日産車体)に生産を委託されたものの、どれだけ作られたかは不明(10機程度作られた、らしいが…)。
なお、この生産期数507(+約10)機は、日本で作られた輸送機としては最多機数であり、今後も破られることは・・・・・・たぶんないだろうなー。
MC-20
百式輸送機の民間仕様。旅客機として1940年当時の日本の航空会社であった大日本航空および満州航空や中華航空(アレとは全く別。言っておくがこの時は日本の航空会社であった)、その他の用途では朝日新聞、東京日日新聞、読売新聞が、それぞれ採用している。
ただ、民間機として、日本(や中国大陸)の空を羽ばたいたのは、太平洋戦争をやらかすまでの、ほんの短期間でしかなかった・・・・・・・・・・
関連タグ
MU-2(第二次世界大戦敗戦後三菱重工業が開発した航空機。旅客機ではないが新聞社や防衛庁に採用された)
MRJ(60年以上経って現れた“後継機”、だったはずが・・・・・・)
荒野のコトブキ飛行隊(第4話でアグア舞踏団なる踊り子派遣団体所有の旅客機として、第7話でスタンドン石油という企業の社用機として、第9話と第10話で、ユーリアがガドールからラハマにズラかった際に搭乗した旅客機として、最終回第12話ではユーリア連合軍の支援機として複数、それぞれ登場)