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九七式中戦車の編集履歴

2014-03-09 09:21:23 バージョン

九七式中戦車

きゅうななしきちゅうせんしゃ

旧日本陸軍が使用した中戦車。当初は九五式軽戦車の補助戦車として開発され実際に大戦中期までそのような運用がなされた。現代のネットにおける愛称は「チハたん」(あるいはチハタンとも)

概要

九七式中戦車『チハ』の「九七式」とは、この戦車が皇紀(日本の初代天皇が即位してから数えての年号)2597年に制式化した事に由来する。「きゅうなな」と十の桁を除いて呼ぶ。

世間一般では旧日本陸軍の主力中戦車でありながら、太平洋戦争において米軍のM4シャーマン中戦車は元より、軽戦車であるM3スチュアートにすら歯が立たなかったと言われ、日本の戦車開発技術が未熟であったことを象徴する戦車として認識されている。

しかしながら、登場当初は一応世界水準であり(当時の世界各国の中戦車は、アメリカは試作要素の強いM2中戦車、ドイツは37mm砲で装甲もあまり強くないⅢ号戦車、イギリスは2ポンド砲を搭載するものの旧態依然な多砲塔戦車のA9、ソ連は速度こそ速いものの装甲の薄いBTといった具合であった)対歩兵戦闘は得意であったという意見や、太平洋戦争は島嶼での戦いが想定されていたので大型の戦車を作ってしまうと船に積載して輸送できなくなるという危惧や、航空機艦船の生産を優先したためチハに代わる後続戦車の開発が遅れてしまった等の問題もあり、一概に日本の技術力が低かったからチハのような戦車ができてしまったわけではない、と擁護する意見もある。


この戦車は本来支那(現在の中国)の大陸で歩兵を装甲で守り、時に歩兵に守られ戦う純粋な歩兵支援の戦車である。

ところが、耐弾試験では国軍の37mm対戦車砲の射撃を150mで防ぐことができたものの中国軍が使用する独製37mm対戦車砲では当時の陸軍の基準で中距離に当たる300mで。また後述のソ連の45㎜砲では当時の陸軍の基準で遠距離に当たる500~600mから撃ち抜かれてしまった。

初陣はノモンハンでのソ連との国境紛争(いわゆる「ノモンハン事件」)で、その時点でソ連の快速戦車(BT-7BT-5T-26)の有する長砲身小口径の戦車砲に太刀打ちできず、投入された4両全てが撃破されてしまい、連隊長の吉丸大佐は車上で戦死してしまった。

(しかしこのときはチハもBT-7などの敵戦車を十分撃破でき、戦車兵の錬度差もあって陸軍国ソ連の主力戦車と互角に戦えたという認識もあって後述のチハ改の投入が遅れた)


開発陣は急いで新型戦車砲の開発に乗り出したが、軍上層部が歩兵を中心とした戦術に固執するあまりに戦車を中心とした戦術への転換が遅れ、戦車開発への理解を得ることが難しかった。

そのため新型砲のチハ改の初陣まで3年かかってしまった。

しかし新型の一式47ミリ戦車砲は400~300mの至近距離で側面を、正面なら70mの(狂ったような)至近距離で車体下部・バイザーや駆動輪を狙えばM4を撃破ないし行動不能にする事が出来ておりこの砲の元になった一式47ミリ機動速射砲(速射砲とは日本軍での対戦車砲の呼称)はある程度活躍して戦果を上げている。

だが新砲塔チハの存在により、後継の装甲を強化したチヘ一式中戦車)の生産が遅れてしまったのも事実である。


余談だが小銃弾で貫通されたとか独製37mm対戦車砲で1000mの距離からでも撃ち抜かれたという話があるが、これらは実際の主力AFVは軽戦車ハ号や豆戦車のテケ車ではなく本車であるという勘違いゆえの誤認の可能性が高い。

根拠として、米軍の鹵獲兵器性能試験では自軍の37mm級対戦車砲で320mでチハに対し射撃を行ったところ正撃以外の角度では貫通不能としている。この時の使用弾はキャップ無徹甲弾(以下AP弾)でありチハの使用装甲板である表面硬化装甲に弱いため当たり前であるのだが、ではなぜ表面硬化装甲に効果的なキャップ付徹甲弾(以下APCBC)を配備しなかったのか?ということろからも実際の主力戦車がハ号やテケ車であったことを示していることが挙げられる。ちなみに自軍の12.7㎜重機関銃の場合は90m以内ではあらゆる箇所を貫通できず正面は35m地点でも抜け無かったものの砲塔後部のポールマウント部分や車体後面下部などの脆弱部に関しては45mの距離で命中弾の一部が貫通した」というが本来はここまで引き付けて射撃ということは滅多にないのだが島嶼での戦闘は戦車による肉迫攻撃も少なくなかった為だと思われる。


派生車種

新砲塔チハ

チハ車体+チホ砲塔(改修型)orチハ車体+チホ砲塔(改修型)+α

元々、九七式中戦車は暫定的な新中戦車に近く上層部はチハより軽量で安い戦車を開発していた。それが試製九八式中戦車チホ(以下チホ車)であり新砲塔チハの砲塔は実はチホ車搭載予定の砲塔を改修し試験的に搭載したモノであり元々量産する予定はなかったのである。

しかしノモンハン事件後、チホ車計画はなくなり一式中戦車(以下チヘ車)開発に転換され

チホ車砲塔搭載型チハ車は好評だったというのもありそのまま生産に移された。末期にはチヘ車の砲塔を載せられたものも多々存在した模様。

チハたんといえば十中八九、鉢巻アンテナがトレードマークの旧砲塔搭載型を指し本車両がチハたんと呼ばれることは稀である。

試製一式砲戦車ホイ

山砲ベースの戦車砲を主砲とする砲戦車用砲塔をチハ車に試験的に乗せたもの。

車体強度や初速の遅さもあり量産はされず。

後に砲塔は改修され別途に造られた砲戦車用車体に搭載され二式砲戦車として制式化された。

一式七糎半自走砲ホニⅠ/一式十糎半自走砲ホニⅡ/三式砲戦車ホニⅢ

多分、一式砲戦車の記事を参照したほうが早い⇒一式砲戦車

四式十五糎自走砲ホロ

多分、該当項目にアクセスしたほうが早い⇒四式十五糎自走砲

十二糎砲戦車(短十二糎自走砲)

新砲塔チハの主砲を車載用に改造を施した短十二糎砲に換装した車両。日本機甲車両としては初の同芯式駐退器を採用した車両でもある。

"十二糎"砲と口径こそホニⅡの搭載砲より大きい癖に破壊力は目くそ鼻くそであるが、装薬を含めた弾重量は13㎏と陸軍の同口径砲の十二糎榴弾砲はおろか十糎榴弾砲より軽く後座長は元々搭載されていた47㎜砲と変わらなかったりする。ただし、それでも47㎜砲弾の五倍以上の重さであり全長もふたまわり大きいため装填環境は劣悪だったと予想される。

装弾数は不明(少なくとも8発?)

海軍十二糎自走砲

九七式中戦車の砲塔その他を取り除き十二糎高角砲を搭載した素敵な乗り物

車体部の故障が多発し実戦に耐えられたかどうかは不明。対戦車用らしい。

二式砲戦車

山砲(連隊砲)をベースに開発された九九式七糎半戦車砲を搭載した火力支援車両。初速に左右されないタ弾(成型炸薬弾)が開発され低初速砲である山砲が対戦車に使用可能になったため量産された車両。皮肉にもそのタ弾のために山砲連隊の価値が上がってしまったため開発スケジュールがずれ込むことになり、前線には間に合わなかった。

一見車体はチハたんに似ており足回りなど一部チハたんの部品を流用しているもののほとんどの部品はチハたんとは別の新規の設計であるため

チハたんとは別系列の車両(車体)である。

一式中戦車チへ

ホイ車体+チホ砲塔(改修型)+α

本来ならば同軸機関銃搭載・油圧シンクロメッシュ等の新機軸を取り入れた快速戦車になる予定だった。…しかしそれらの新機軸開発が難航を極めた末に断念。その後半分やっつけで上記の二式砲戦車用車体に増加装甲を施した47㎜砲塔を搭載し産まれたのが普段我々の知る一式中戦車チヘの正体だったのである。一両目完成時期が遅かった為チヘ車の生産予定車体の多くは魔改造・急造兵器である三式中戦車製造用に移された。チハたんとは別系列。

三式中戦車チヌ

ホイ車体+チリ車第一案砲塔+ホニⅠ砲

多分該当項目を参照したほうが有益→三式中戦車


関連イラスト

∩( ・ω・)∩チハタンばんじゃーい
侵攻

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