ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

概要

第一次世界大戦における戦後処理を行うために開かれた、パリ講和会議(平和会議とも)において、日本の代表である牧野伸顕大使が議題に出した提案である。国際会議において、人種差別撤廃を世界で初めて明確に主張した議案とされる。

解説

アメリカ日本人移民が、排日政策によって迫害されていたことに胸を痛めていた日本は、慎重かつ穏便に問題を解決するために、この議案を提出した。

日本に全権大使に任命された牧野大使は、この国際会議において大胆に欧米人の代表らを前に、「真の世界平和を達成するためには、世界から人種差別を葬り去らねばなりません。国際連盟の盟約の中に、人種平等の原則を入れることを提案します!」 と訴え、会議は紛糾し何日にもわたった。

この人種差別撤廃法案は、世界平和を打ち立てるというパリ講和会議の趣旨とも合致する提案で、この牧野大使の法案にアメリカの黒人協会は歓喜し「全米の黒人は日本国に最大の敬意を払う」 と賞賛した。さらにはアフリカ、アジアの指導者たちも喝采を送り、紛糾する会議上で牧野大使は、「この法案は日本国民の揺るぎない総意である。そして、世界の真の平和と平等を願う人々すべての揺るぎない総意である」 と主張した。

その後、会議に参加した多くの国の代表がこの提案に賛成し、イタリアフランスなどの植民地所有国も賛成したが、アメリカ・イギリスなどの植民地を数多く持ち、その利権を手放したくなかった国は猛反発し、特にアメリカには、白人を中心とした世界秩序を混乱させる「危険思想」であり日本の陰謀であると受け取られてしまう。

また、白人の国作り「白豪主義」をとるオーストラリアも反対にまわり、やがて採決が行なわれると、賛成11・反対5となり人種差別撤廃法案は圧倒的多数で支持され、正当な主張とされながらも、議長のトーマス・ウィルソンアメリカ大統領が、「全会一致を見なかったので、法案は不採決とします!」 と話し、納得できない牧野大使は立ち上がり、「これまではみな多数決で決めてきたではないか。全会一致でないといけないとは、一体どういうわけだ!」 と詰め寄ったが、ほぼ強制的に否決されてしまった。

その後アメリカでは、この牧野大使の提案に反対したアメリカ政府に激怒した黒人達による暴動事件が起こっており、この一件から日本を敵視するようになったアメリカは、日英同盟を崩しにかかっていく。

逸話

国際政治の舞台で人種の平等の確立を訴えたのは、日本が世界で初であり、この日本の主張は、惨たらしい人種による差別にあえいでいた有色人種民族や植民地支配国の人々から絶賛された。

ある日、牧野大使がホテルから出かけようとすると、黒人がそこに立っており、アフリカリベリアに住む人物で、牧野氏に近づき「会議では、人種問題で非常に御奮闘下さって、ありがとうございます。私たちアフリカの黒人は、白人のもとで大変苦しめられております。ぜひしっかりやって下さって、なんとしてでも人種の平等を成立させてください。我々は心から応援します」と話しかけられ、 「わかりました。 日本としても全力を尽くすつもりです」と答え、その後しばらくすると、今度はアイルランド人の女性が牧野氏を呼び止め、「私の国は、昔からイギリスにひどい目に遭っています。どうか我々の苦しい境遇をお察しくださり、演説をお願いします。日本が、人種差別撤廃法案を会議に出してくれたことを本当に感謝しています。どうか頑張ってください」 といった話で、それに対し牧野氏は「わかりました。我々を応援してください」と答えたという。

関連タグ

近代史 政治 大正

関連記事