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駅伝の編集履歴

2014-06-15 17:43:59 バージョン

駅伝

えきでん

駅伝競走の略。陸上競技の一種。

陸上競技の一種で、長距離を複数の走者がリレー形式で走りタイムを競うもの。駅伝競走の略。

公式の英語名は"Road relay"だが、日本発祥であるため、外国でも"Ekiden"で通じてしまうことが多い。


ルール

5~8区間に分けられた長距離を、複数の選手がリレーして走る。区間数や区間距離、総距離は大会によって異なるが、国際ルールは以下の通りとなっている。

  • 総距離はマラソンと同じく42.195km。
  • 区間は6区間。
  • 区間距離は1区から順に5km、10km、5km、10km、5km、7.195km。

区間と区間の境を「中継所」と呼び、走者はここで次の走者にたすき(バトンの代わり)を渡す。


マラソンと同様に公道を使用する。そのため、トップからの遅れが大きいチームは、前の区間の走者が来ないうちに予備のたすきを持ってスタートさせられる。これを「繰り上げスタート」といい、チームにとっては屈辱と言える。


由来

7世紀後半頃に成立した「駅制」「伝馬制」をヒントに陸上競技化したものである。


駅制はの朝廷と地方を結ぶ緊急情報伝達システムであった。駅路と呼ばれる幹線道路を整備し(ほぼ直線的路線をとって計画的に敷設され、幅は10メートル前後)、ほぼ30里(約16キロ)ごとに駅家(やくか)と呼ばれる施設を設置して、使者の休養・宿泊や、使者の乗る馬の待機に充てていた。

伝馬制は特命を帯びた朝廷の使者を地方に派遣するためのシステムである。古代律令制の自治制度では国の下に郡が存在し、その庁として郡家があったが、使者は郡家で休憩・宿泊し、郡家に待機している馬を乗り継いで異動する仕組みであった。

8世紀末から9世紀にかけて駅制と伝馬制は統合され、平安後期には荘園領主・地頭などが独自の伝馬を導入。これが室町末期~戦国時代の守護大名・戦国大名に引き継がれ、徳川幕府下での東海道五十三次の整備に至る。


競技としての初の駅伝は、1917年4月27日、東京奠都(てんと。首都そのものを移転するのではなく、従来の首都に加え別の首都を設けること)50周年として行なわれた「東海道駅伝徒歩競走」その名の通り、京都‐東京の東海道約508kmを23区間に分けて走り抜くもので、スタートの京都・三条大橋を午後2時に出発。ゴールの東京・上野公園不忍池に優勝者が到着したのは4月29日午前11時34分であった。


pixivでの用法

主に全日本大学駅伝ニチアサキッズタイムが同時に絡む絵に「駅伝」タグが使われることが多い。しかし「駅伝」タグは包括的なものなので、「ニチアサキッズタイム」タグと併用する場合には「全日本大学駅伝」タグを用いる事が望ましい。


関連タグ

伝馬:語源及びルールの元ネタ。

たすき/ 陸上部 陸上

主要大会

実業団:ニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会) 九州一周駅伝(高松宮賜杯西日本各県対抗九州一周駅伝競争大会)【廃止】

大学:全日本大学駅伝(全日本大学駅伝対校選手権大会) 出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走)

箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)

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