この人物は昭和27年に京都にて生まれた。昭和52年に立命館大学を卒業したのち、昭和59年まで出版社(詳細不明)に勤務。
そののちフリーのジャーナリストとして、霊感商法や、統一教会関連の取材で名を挙げる。またテレビのコメンテーター(これは統一教会の合同結婚式や、友人であった江川紹子の関係で詳しくなったオウム真理教関連が大きい)としても有名となる。
政治家として
1970年に日本共産党に入党していたものの、ジャーナリストとして「日本共産党への手紙」(15人の著名人による意見書)の編集にかかわったため1990年に除名処分となった。
その後、新党日本の副代表となるものの、2回の選挙で当選できず。
そののち民主党に移籍、2010年の参議院選挙比例代表にて党内で一番多い得票で当選。
スタンス等
ジャーナリストであるにもかかわらず、状況などをあまり調査せずに発言することがある(例としては週刊朝日における橋下徹批判記事の件、酒鬼薔薇聖斗事件の発言など)。
いわゆる左翼寄りの思想とされ、ネトウヨから嫌われている。具体的には、反原発、外国人参政権賛成、高校無償化に対する外国人学校の適用賛成、選択的夫婦別姓制度導入賛成、ヘイトスピーチ規制に賛同(ただし他の面では表現の自由および言論の自由を守るとの立場をとっている)であるとされる。
また、在日朝鮮人の親睦団体である在日本大韓民国民団や在日本朝鮮人総聯合会の幹部層と交流があるとされている。
そのほか
社会運動家であり共産党とのかかわりを持つ父を持つ(ちなみに父親は存命)。