対義語は一柱の神を信仰する一神教。
多くの神々が崇拝されるので、信仰のあり方が同じ宗教の中でも多数存在するのが特徴である。なお仏教も多神教と思われることがあるが、実際は汎神論または無神論的な宗教であるという見解もあるので議論が分かれる部分もある。
なおバリの「ワヤン」とよばれる人形劇は、「絶対的な唯一神が精神の奥底にいる一方で、神様とかグールみたいなのとか人間がさまざまな愚行を行う」と言う器用な世界観を持つ。
征服者が、その辺を征服した際に体系化がされる、で征服する方は大体野郎の神様拝んで、される方は普通女神様拝んでるので、ギリシャ神話の主神ゼウスとか、ケルト神話の主神ダグダのように、トップの神様は「そこに、女性の何かがいる限り 俺は挑む」というアルピニスト絶倫大将の面を持つ。
エジプト神話は、各地の猫科の形をした神々が「遠くからの神」と言う形で同一のものとされるなど体系化がされてるはずだけど、南ヘルモポリスで拝まれていたメスうさぎの太陽神ウヌウは、多分スルー。なお、やはりパンテオンには入っていない、ラシャプウと言うメソポタミアの辺で拝まれていた、爆炎と病気と戦争と外国で奴隷になった人の守護を司る神は、その辺からエジプトへ引っ張られて、奴隷になってる人だけの信仰から、当時のエジプト人、ファラオAも本尊にするくらいの信者を集めることになり、『旧約聖書』の「雅歌」でも「私の愛の炎(ラシャプウのヘブライ語訛であるレシェフ)は神の炎」とか使われ、一時期はスペインまで信仰を広げていた。
ブードゥー教は、アフリカ(西部)の各地方の神々を別々に拝んでいた、黒人がハイチ等へ奴隷として引っ張られて迫害もされたために、みんなで各神様の体系化をして、それを拝むことにしましょう、でそれを表向き「カトリックです」と言い張りましょうと出来たので、実は西アフリカの多神教。聖人なんとかはなんとかの神とする、本地垂迹思想のような状態なのだが、皮肉にも一応のパンテオンができている。
アイヌは、いろいろな神様拝んでいるけども、じゃあパウチが主神で、とかの体系化がされていない。