概要
幕末の長州藩は、吉田松陰の松下村塾生(桂小五郎、高杉晋作他)を始めとした尊王攘夷派の勢力が非常に強く、江戸幕府は幾度となくこれに弾圧を加えてきた。
公武合体(天皇家と江戸幕府の協力)を支持する薩摩藩は長州藩を邪魔に思い、幕府側に立ち長州征伐に協力していたのだが、実はこれには幕府のもくろみがあった。薩摩藩は長崎以外で唯一外国(当時琉球は独立国家だった)との取引が認められており、琉球との貿易により潤沢な資金を有していた。薩摩を敵に回すと厄介だと感じた幕府は、当面の敵である長州藩を攻撃させることで薩摩の軍資金を擦り減らそうとしていたのである。
これに対し、土佐藩脱藩浪士である坂本龍馬と中岡慎太郎は、江戸幕府から朝敵と認定され一切の武器の取引を禁止された長州藩に対し薩摩藩と同盟を組ませることで反幕府勢力を纏めようとした。薩摩としては、「長州が潰されれば次は自分達が因縁を付けられて幕府に潰されるかもしれん」と危惧していたこともあり、これに賛成した。
そんなわけで1866年、薩摩藩士・西郷隆盛が長州維新志士のリーダー格である桂小五郎と面会を果たし、当軍事同盟の締結を執り行った。
これにより長州藩は武器を龍馬の仲介を経て薩摩から入手することが可能になり、後の第二次長州征討では幕府軍は長州一藩に対してこずりまくるという失態を晒すことになってしまい、一気に瓦解への道へと進む結果となった。