概要
羽黒とは、重巡洋艦の4番艦。そして太平洋戦争の最初から最後まで激闘を繰り広げた武勲艦にして幸運艦である。大正12年度艦艇補充計画に則り1925年3月16日に起工、1929年4月25日に竣工した。就役後は第二艦隊第四戦隊の所属となった。
建造時に居住性向上を目的として試験的に隣で建造されていた客船の内装を参考にしており、妙高型の中で最も居住性が高くなっている。ただし、武装を意欲的に搭載する形で設計建造されているため、姉妹艦の中ではまだマシ程度の居住性であった(本格的に居住性が改善されたのは、後に二度行われた近代化改修後のことである)。
太平洋戦争開戦時は同艦隊の第五戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加。スラバヤ沖海戦では、イギリス海軍の重巡「エクセター」に直撃弾を当て、オランダ海軍の駆逐艦「コルテノール」に魚雷を命中させる(羽黒以外の艦が放った魚雷という説も存在する)などの活躍をする。(この海戦で「エクセター」は沈没したが、乗組員798名は駆逐艦「雷」と「電」に救助されオランダ海軍の病院船「オプテンノート」に引き渡された。)
また、姉妹艦の那智とともに連合軍艦隊(ABDA艦隊)を追撃し、ABDA艦隊指揮官ドールマン少将が座乗するオランダ海軍軽巡「デ・ロイテル」を残弾わずかとなった砲弾で注意を逸らしつつ雷撃を仕掛けるという巧みな戦法を駆使して撃沈している。余談ながら、羽黒は「デ・ロイテル」の乗組員の救助を行っており、20名が救助されている。その後も珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、渾作戦、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦など数々の主要海戦に参加している。
ブーゲンビル島沖海戦では、アメリカ海軍に先手を打たれて混乱する艦隊の中で真っ先に反撃し、更に日本海軍初めての照明弾砲撃を敢行し、レーダー管制射撃による正確な砲撃戦を駆使して終始優勢だったアメリカ海軍に対して互角に渡り合った。このときのアメリカ軍人が後に記した手記には、羽黒と妙高の精密な砲撃で立て続けに被弾したことから「日本軍もレーダー射撃管制をしているに違いない」と誤認していたことが記載されている。
この頃から『幸運の艦羽黒』の異名が羽黒乗組員の間で呼ばれるようになる。上記のブーゲンビル島沖海戦で数発の被弾があるものの、ほとんど不発弾であったために轟沈を免れている。海戦後にラバウルで百機以上の攻撃機から空襲を受けるもののほぼ無傷で乗り切り、トラック泊地やパラオでは空襲の直前にたまたま出港していたことで難を逃れ、米潜水艦が跳梁跋扈する危険海域でのタンカー曳航の成功や、物資輸送任務中に空襲されかけるものの近くで発生したスコールに長時間潜むことが出来て無傷でやり過ごすなどの逸話が残されている。
史上最大の海戦と称されるレイテ沖海戦で行われた海戦の1つ、サマール沖海戦では栗田艦隊の先陣をきって突撃し金剛とともにアメリカ海軍の護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈している。この戦闘で羽黒は主砲の砲弾を9割以上も発射して、それまでの帝国海軍の記録を塗り替えている。また、米軍機の攻撃で2番砲塔が損傷したことで使用不可能となり、それは最後まで修復されることはなかった。
レイテ沖海戦後は数少ない戦闘可能な軍艦として、シンガポールを拠点に姉妹艦足柄や駆逐艦「神風」とともに活動している。この頃、日本に向けて航行中だった姉妹艦妙高が米潜水艦の雷撃で大破航行不能になったが、羽黒が共倒れの危険を承知の上で海防艦などの小艦艇を率いて救援に向かいシンガポールまで曳航することに成功している。
陸軍からの要請でアンダマン諸島への輸送任務に従事中、1945年5月17日午前2時ごろイギリス海軍の駆逐艦5隻に捕捉され交戦。前日に航空機の攻撃を受け、機関部を損傷していたため速力が出せず、また戦闘開始直後の被弾により電源喪失するとともに甲板に満載していた補給物資の燃料が爆発炎上したことから突破を断念し、煙幕や照明弾を駆使して羽黒を庇おうとしていた駆逐艦「神風」に離脱を命令すると、自身は囮となってそのまま戦闘を続行した。その状態で1時間以上も戦い抜いたが機関部と艦橋に被弾したことでついに動きを止め、最終的に魚雷3本が命中して(このとき羽黒に向けて40本近い魚雷が放たれている)艦首部分から轟沈した。この戦闘は後にペナン沖海戦と呼ばれ、第二次世界大戦で最後の水上戦闘となった(ただし、1945年7月22日から23日にかけて房総半島野島岬沖で行われた、日本海軍輸送部隊とアメリカ海軍駆逐艦隊の戦闘が最後の水上戦闘とするなどの諸説が存在する)。
戦死者27人を出したが、戦線突破に成功した神風乗組員たちは火だるまになりながらも奮戦した羽黒を「阿修羅の如し」と評している。また、対峙したイギリス海軍指揮官は動力喪失した高角砲台を手動で操作して、退艦命令すら拒否した乗組員たちが沈む瞬間まで戦い抜いたことから「日本海軍の精華」と絶賛したという。
生き残った羽黒乗組員が後に記した手記によると、戦闘終了後にイギリス海軍は救助活動を開始し何人かが救助(生きて虜囚の辱めを受けずの教えがあったため、大多数の乗組員は死んだ振りをして救助を無視していたとされる)されている。また、イギリス海軍が撤退した夜明け後に「神風」が救援部隊を率いて戦場に戻り、漂流していた生存者を救助している。
なお沈没した本艦は2003年に海面下66mで着底した状態で発見され、2005年には日英合同の慰霊祭が執り行われている。しかし、2014年にマレーシアから配信されたニュースによると、違法サルベージ業者によって羽黒を含めて最低でも5隻の沈没船がスクラップ目的で引揚・売却されてしまったという。
関連タグ
本艦がモデルとなったキャラクター。→羽黒(艦隊これくしょん)