兵庫県の加美町に位置する、JR西日本・山陰本線の「餘部橋梁」の通称。余部鉄橋とも記される。
橋は餘部(あまるべ)駅の上り側(京都方面)にあり、その構造物の巨大さから、鉄道名所の一つとなっている。
加美町のサイトでも、観光スポットの一つとして紹介されている。
観光地としても名高いが1986年12月には悲惨な事故がこの鉄橋で発生している。詳細は後述。
尚、現在は新しいコンクリート橋へ架け替えられており、鉄橋は解体されている。
イラストとしては、実際の鉄橋だけでなく、餘部鉄橋を彷彿とさせる架空のものも含まれる。
餘部鉄橋客車転落事故
1986年12月28日、福知山線谷川発山陰本線香住行の団体列車として香住駅に到着した14系みやびは香住駅から浜坂駅へ向けて回送されていた。
列車が餘部鉄橋に差し掛かった13時25分頃、突風で客車があおられ編成中央部から転落。みやびの一部車両の台車と機関車(DD51-1187号機)を残して鉄橋真下にあったカニ加工場と民家めがけて転落。転落した客車はカニ加工場を全壊させ、民家も半壊させた。
回送列車であったため乗客は居なかったが、列車に乗務していた車掌1名とカニ加工場従業員5名の計6名が死亡。同じく回送列車に乗車していた日本食堂の車内販売員、カニ加工場従業員の6名が重傷を負う大事故となった。
なお機関車は客車に比べて重かったことで転落を免れ、半壊した家の住人はたまたま留守にしていたことから機関士と住人は無事であった。
この事故が起きるまで餘部鉄橋から列車が転落したことはなかった。なぜならある一定以上の風速に達すると指令所の警報が鳴り、運転指令が付近を走行中の列車に停止を命じていたからである。この事故が起きた日も装置は問題なく稼働しており、それを指令員も確認しているが、列車を止める指示が出されたことはなく、このような惨劇を引き起こすこととなった。
この事故によりみやびは全車両が廃車され、後継として12系を改造したあすかが誕生した。
なお牽引していた機関車であるDD51-1187号機は事故後も現役で、JR西日本へ継承されて2007年に廃車された。廃車後は津山扇形機関庫で保存されている。