この鉄道は近畿日本鉄道の路線であり、山田線と近鉄志摩線を連絡する路線である。
この路線は勾配がおおく、「とばせん」というあだ名がついているものの、実際には特急などは13.2㎞を十分くらいで走行可能である。
運行に関しては基本的に山田線・鳥羽線・志摩線と一体運用されている。なお、普通電車および急行よりも停車駅がほとんどない特急のほうが本数が多い。
意外にも開通はそれほど古くなく、昭和45年である(理由は後述)ため、加算運賃がある。
歴史
この路線は昭和6年に開通した近鉄山田線および昭和4年に志摩電気鉄道により作られ、紆余曲折を経て(この辺りはこの辺りに詳しい)、昭和40年に近鉄のものとなった志摩線を連絡する形で敷設が計画された。
それ以前は近鉄を利用して奥志摩を観光したい場合、山田線よりバスに乗り換える(そのために戦後の宇治山田駅はバスが横付けできるようになっていた)か、国鉄に乗り換えるなどの手段が存在した。
しかし昭和36年に志摩線(当時は貨物運送のため参宮線と連絡していた)を入手した近鉄は「この路線と山田線を連絡すれば直接観光客を電車で輸送可能となる」と考え、その考えを実行に移すことにした。
すなわち、この路線の敷設および志摩線の改軌および昇圧を行うことにした。そして参宮線とは異なり山中をトンネルでつなぎ、距離を短くした(このためこの路線の敷設に費用が掛かり、山田線に跨って乗車する場合加算運賃が適用)。
そしてこの路線は昭和45年に単線電化路線として開通。好調を維持し昭和50年には複線化している。この路線の開通により近鉄による名古屋や大阪から伊勢志摩への観光客の流れが生まれた。
一方当時京都からの直通急行が存在した参宮線に致命的な一打を与えそれと前後して名古屋や東京の直通急行は廃止され廃線が検討されるようになった(これは国鉄からJRになるまでこの状況であった)。