概要
中学時代に兄の影響でギターを始め、同級生の影山ヒロノブらとともにLAZYを結成する。当時「ディープパープルのコピーが巧い少年ギタリスト」と呼ばれていた。
LAZYとしてデビュー直後はポップスばかりでストレスが溜まった一方、テクニックの幅が広くなった。
1981年にLAZYが解散し、高校からの先輩で同僚の樋口宗孝とともにLOUDNESSを結成、元アースシェイカーの二井原実と幼馴染の山下昌良との4人で再デビュー。
幾多のメンバーチェンジを経て現在もLOUDNESSに属しているためオリメン再集結後のTVで「一度ラウドネスのライヴを客席で観てみたい」という発言もあった。
LAZY時代の初期のアイドルソング(特に「赤ずきんちゃんご用心」)を嫌う一方、アニソンや特撮ソングについては息子の影響もあり気に入っている。
LAZY時代はフライングVを愛用していたが、その後ESP製のランダムスターに変更し、現在はジョージ吾妻らとの協力で設立されたキラーギターズの「PRIMEシリーズ」を使用する(社名のKillerもアキラをもじったもの)。
関連タグ
高見沢俊彦:松本同様、互いのギターを交換し合っていた。