曖昧さ回避
レイジーだと
のいずれかのキャラクターとなってしまうので注意。
また同名の楽曲に雄之助が投稿した初音ミクオリジナル曲がある。
メンバー
影山ヒロノブ(通称ミッシェル、メイン画像前列中央、ボーカル)
の5人。
ヒストリー
小学校から中学校にかけて同級生だった影山、高崎、田中の3人が1973年に結成。
高校は別々となったものの、影山が同じ高校の同級生となった井上を、高崎が2学年上の樋口をそれぞれ誘いメンバーが決まり、ディープパープルの曲名から取ってバンド名とする。
1977年にテレビ出演したのを機にプロデビューが決まるが、事務所の意向でベイシティローラーズのようなアイドルバンド路線にさせられ、1978年にサードシングル「赤頭巾ちゃん御用心」が大ヒットしスターの仲間入りを果たしたものの、目指した音楽が違う彼らにとっては不本意な日々だった(実際高崎は今でもこの曲を嫌っており、影山や井上は高崎がいない所でしか歌わない)。
その後はハードな曲も増えていき、1980年に「宇宙船地球号(EARTH ARK)」をリリースするも、HR/HM路線に専念したい高崎・樋口と、ポップスとの両立を続けたい影山・井上に意見が分かれるようになり(田中はどちらかいうと影山・井上寄り)、1981年2月18日に行われたライブで解散を宣言、この年の春に解散する。
高崎と樋口はLOUDNESSを結成。田中も当初は参加していたがデビュー直前に脱退し、井上らとネバーランドを結成。
その後1990年に影山らとともにAIRBLANCAを結成するが、長続きしなかった。
1997年、音楽プロデューサーとなっていた井上の呼び掛けに応える形で再結成する。
ウルトラマンダイナの後期エンディングテーマ「ULTRA HIGH」が復活初のシングルとなったが、田中は不参加でレコーディングでは高崎がベースを兼任し、イベントでは樋口らのSLYに参加していた寺沢功一が代役を務める。程なくして田中も合流する。
1999年に井上がレコード会社「ランティス(Lantis)」を設立し、レイジーも同社所属となる。
2006年9月1日、田中が心不全で死去。2008年11月30日には樋口も癌で死去。
メンバー2人を失った今も、生前の彼らの音源を使用するなど現在も活動中。