代表曲
- ハッシュ
- ケンタッキー・ウーマン
- スピード・キング
- ブラック・ナイト
- ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン
- ハイウェイ・スター
- スモーク・オン・ザ・ウォーター
- 紫の炎(バーン)
メンバー
メンバーチェンジを繰り返しており、一回もメンバーチェンジを行わなかったレッドツェッペリンと対照的である。一般的には2代目のラインナップがもっとも有名であるようだ。
ここでは2代目のラインナップ(第二期および第五期、第七期メンバー)(1969年~1973年、1984年~1989年、1992年~1993年)を取り上げる。
(左から)ジョン・ロード(Key)、イアン・ペイス(Dr)、イアン・ギラン(Vo)、リッチー・ブラックモア(G)、ロジャー・グローヴァー(B)
- g. リッチー・ブラックモア:気分屋でありながら、その天才的な演奏スタイルは、イングヴェイ・マルムスティーンなどの数々のカリスマギタリストにも大きな影響を与えている。1975年に音楽性に関する不満から離脱した後は、レインボーを結成し、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエル、グラハム・ボネット、ドン・エイリー(後に、ジョンの後任としてパープルに加入)、ジョー・リン・ターナーなどのHR/HM界にて多方面に渡って活動している実力派の面子を引っ提げて活動したが、1984年3月に惜しまれつつも解散。再結成にも参加したが、ギランを中心とする他のメンバーとの不仲で、1993年秋、ライブツアーの開催直前に再脱退した。その後は、事実上レインボーの再結成プロジェクトとなる自身のバンド・ムーンでの活動を経て、現在は、自身の交際相手(後に結婚)であるキャンディス・ナイトとの音楽プロジェクト、ブラックモアズ・ナイトで活動中。
- vo. イアン・ギラン:ハイトーンヴォイスにビブラートをかけて歌う並々ならぬ歌唱力の持ち主で、ロックでも非常に人気の高いフロントマン。リッチーとの不仲が原因でバンドを脱退し、その後はソロ活動を経て、一時期ブラック・サバスのヴォーカリストとしても活動。再結成に参加するも、再びリッチーとのケンカが原因で一時期解雇されたが、後に復帰し、リッチーが去った現在でもバンドのフロントマンとして活動中。
- b. ロジャー・グローヴァー:クールなプロデューサー。これまでに、パープル以外にも、ジューダス・プリースト、マイケル・シェンカー、盟友・ギランやリッチーのRAINBOW、デヴィッド・カヴァデール(ギランの後釜として加入し、後にホワイトスネイクを結成したヴォーカリスト)のソロアルバムをプロデュースしている。元々は、ギランのバンドメイトで、自身がバンドに加入する代わりにロジャーを迎えることを条件に出されたことに伴い、ギランと共に加入した。パープルを離れた後も、1980年からバンド解散までリッチーとはレインボーで共演した(プロデュースも兼任)が、現在は先述の経緯から二人の関係は悪化している。
- key. ジョン・ロード:アートロックからハードロックへの切り替えっぷりが聞き処。バンドが解散状態にあったときは、ギランのバンドやホワイトスネイクなど様々バンドやアーティストのサポートを中心に活動していた。2001年頃より体調に異変をきたすようになったため、翌年をもって脱退。その後も時折メンバーとは共演するなど交流は続いていたが、2012年7月に膵臓ガンとの闘病中に、肺塞栓症を引き起こし死去。享年71歳。
- dr イアン・ペイス:ワンバスかツーバスか、でおなじみ。ドラマーでも非常に珍しい左利き。結成当初から参加しているが、ジョンが脱退して以降はただ一人のオリジナルメンバーとなった。ジョンや他のメンバーと同じく、他アーティストやバンドのサポート活動にも積極的。
日本での扱い
日本においてはレッドツェッペリン、ブラック・サバス、ディープ・パープルのハードロック御三家として売り出されていた。
また、「ブラック・ナイト」がUCCブラック・無糖のCMに使用された。
サウンドの特徴
クラシック音楽を基調としたスピーディーな展開をもった曲作りが挙げられる。
これは、オリジナルメンバーで構成されていた第一期の名残である。
第一期の頃の曲作りの主導権を握っていたのは、リッチーではなく、クラシック研究家でキーボードのジョンだったため、我々がディープ・パープルと聞いて思い浮かぶようなハードなものではなく、クラシック音楽との融合をテーマにした芸術的なロック(アートロック)であった。
(余談だが、レッドツェッペリンもデビューした当時はアートロックといわれていた。ハードロックという言葉がなかったのだろう。)
ハードロックへの転換
当のリッチーはといえば、ロックンロールを基調としたハードロック(ヘヴィ・ロック)をやりたかったそうで、グループとして四枚目のアルバムを出した後ジョンにこう告げた。
「俺がやりたいのはロックだ!グループとしての方向性としても、その方がいいような気がする!」
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ここからハードロックバンドとしてのディープ・パープルが始まったのだ。
でも、ジャケットはださい。
これ以上書くと随分長くなってしまうので、詳しいことは、Wikipediaやファンサイトを参照されたし。
関連動画
関連タグ
王様:「深紫伝説」
LAZY:日本でパープルのコピバンからプロになったバンド。後に影山ヒロノブやLOUDNESSといった英傑を輩出。
Wikipedia:イアン・ギランとリッチー・ブラックモアの闘いのクロニクル(嘘?)