概要
1965年にイアン・ギランと共にエピソード・シックスに加入しデビュー。
1969年、リッチー・ブラックモアに誘われてギランとともにディープパープル(以下パープル)に加入。黄金時代を築くも1973年にギランとともに脱退し、パープルのレコード会社「Purple Records」でプロデューサーを務める。
ここではレインボーの原型だったElfや若きJudasPriest、更にギランやパープルの一時解散時のヴォーカリスト、デイヴィッド・カヴァデールのソロ作品も手掛けていた。
1974年には多くのゲストミュージシャンとともにリーダーアルバム「The Butterfly Ball」をリリース。現在までに6枚(ギランとの共作含む)のアルバムを世に送り出す。
1979年、リッチーの誘いでレインボー5代目ベーシストとなり、3枚のアルバムでプレイ。楽曲製作やプロデュースも担当。
1984年、リッチーがパープルを再結成させると同時に復帰。現在もパープルの屋台骨を支える。