細長い胴体、長い後退翼、そして二重反転プロペラ。
このTu-95はどこから見ても独特で、まさにソビエトの科学力が成した爆撃機である。
開発の前に
そのころ世界は
1950年代、第二次世界大戦が終結して、アメリカ・ソビエトの二大国家が見せた最初の動きは『互いに自国を攻撃しないか警戒する』というものだった。アメリカはナチスドイツの科学力と世界トップの工業力と合わさり、共産主義が資本主義を脅かす事を警戒していた。ソビエトはもとよりアメリカなど信用しておらず、倒すべき資本主義国家の総本山であり、いつでも本土空襲を敢行できる空軍力と核兵器の脅威について警戒していた。
だが、両陣営が直接激突することはなかった。
戦後しばらくは両国とも戦後復興に忙しかったし、なによりお互い性質こそ違うものの強大な軍隊である。直接ぶつかり合うと再び長く苦しい戦争になって共倒れになるのは確実なので、ひとまず今は同盟国を増やし、自国の勢力を伸ばすことに注力したのだった。
当時のソビエト爆撃機
それまでソビエトが開発した大型爆撃機は大戦前に開発されたツポレフTB-3くらいのもので、しかも第二次世界大戦の頃には完全に時代遅れになってしまっていた。戦争中もいますぐ間に合う双発中型爆撃機の開発がせいぜいで、とうとう双発爆撃機主力で乗り切ってしまった。
だが大戦が終わり、今度は海の向こうのアメリカが相手となると、手持ちの爆撃機ではまったく役に立たない事が明確になってきた。
『アメリカはモスクワに核爆弾を落とせるのに、こっちは何も出来ない!』
前述のとおりソビエトで重爆撃機の開発は絶えていたが、幸い日本上空で被弾して帰還が困難になり、仕方なく進路をウラジオストクにとって不時着したB-29を参考資料に使う事が出来た。
(乗員は中立国経由で帰国させた)
こうして完成したのがツポレフTu-4「ブル」で、B-29のデッドコピー(無許可コピー)のような機となった。だが1950年、朝鮮戦争が勃発。この戦争ではB-29がMiG-15相手に惨敗してしまい、自動的にTu-4も時代遅れの遺物となってしまった。
MiG-15の活躍は大きな自信につながったが、同時にせっかく実用化した爆撃機もまったく役に立たない事も証明されてしまった。なんとしても新しい爆撃機を開発しなければならない。それも迎撃戦闘機にも対抗できる高性能機が。
1948年にはイリューシンIl-28「ビーグル」のような新型機が完成していたが、これでも足りない。強力なエンジン・大きな搭載量を併せもつ爆撃機でなければアメリカ本土に到達し、さらに迎撃網をくぐり抜けてワシントンを爆撃する事など不可能だった。
『大陸間爆撃機』。
当時、アメリカも血眼になって開発していた種であり、こうした機の開発競争も冷戦の一局面であった。
ソビエト流『空の要塞』
B-29で得られたノウハウに新しい技術を足して爆撃機は、朝鮮戦争中には完成にこぎつけた。
最初に完成したのはツポレフTu-16「バジャー」で、大型のジェットエンジンを主翼付け根に左右1基ずつ搭載している。Il-28を大きく上回る高性能機だったが、大陸間爆撃機というには航続距離が短かすぎた。当時のジェットエンジン(ターボジェットエンジン)は燃料消費が大きかったのが原因である。
そこで白羽の矢が立ったのが「ターボプロップエンジン」という、ジェットエンジンにプロペラを付けた様なエンジンである。これは空気を取り入れ、圧縮・燃焼させる点まではジェットエンジンと変わりないが、その後別のタービンで排気エネルギーを回収してプロペラを回す力にする、という点が違う。最適飛行高度や最大速度に劣るが、軽量で燃費もいいのが特徴である。
Tu-95ではさらに巨大な二重反転プロペラを導入し、さらなる効率化を図っている。この結果、航続距離は試作機(Tu-95-2)でも13000kmとなり、改良された生産型(Tu-95M)では最大16000kmにまで高まった。さらに最大速度も900km/hを超えており、ターボプロップエンジン機として常識はずれの記録をたたき出している。
巨大プロペラの理由
当然、高速飛行のためである。
だがプロペラ推進には高速飛行には向かない弱点があった。『プロペラの先端が音速になると効率が激減する』という事である。
プロペラは空気を後ろに「かき出して」前に進む仕組みなのだが、プロペラ先端速度が音速を超えると、かき出すべき空気がプロペラ先端部だけに集中してしまい、後ろにかき出す空気が少なくなってしまう。文字通り「空回り」してしまうのだ。
このTu-95では出来るだけプロペラ直径を大きくしてゆっくり回し、さらに二重反転プロペラによって推進効率を高くした。
「ベア」の活躍
核爆弾から巡航ミサイルへ
Tu-95は1955年のパレードで初登場し、参列した西側の関係者に衝撃を与えることになった。
CIAなどは過大評価して、「ソビエトの戦略爆撃機の勢力はアメリカ以上である」と見積もったりもした。いわゆる「ボマーギャップ」というやつである。
U-2のソ連強行偵察はこれを裏付けるために行われていた。
時を同じくして、さすがに「敵の勢力下を、しかも鈍重な爆撃機でノコノコ行くのは危険が大きい。それに対空ミサイルが作れるのなら対地ミサイルも作れるはずだ。敵地に入る前に対地ミサイルを発射できるなら、それで代わりにできるんじゃないか」という考えも出てきた。
こうしてTu-95は配備から間もなく、巡航ミサイルの発射母機として使うことが考えられた。大きな機体だからミサイルを積むのに苦労はないだろう。こうして登場したのがTu-95Kで、Kh-20巡航ミサイルを搭載することができた。
敵の本土とはもちろん『防備のいちばん強固な場所』となる。ここを直接空襲するということは、当然損害も多く見積もっておく必要がある。そして当時のアメリカ防空体制もまた強固であり、(防空網で撃墜される機を見積もると)多数の爆撃機を同時に飛ばす必要がある、との結論に行き着いた。
その多数の高価な爆撃機を揃え、乗員も時間と費用をかけて訓練し、さらに高価な核兵器を全機に搭載する。結果、総費用はソビエトでさえ我慢ならない数字となってしまった。
結論は『本土狙いは割に合わない』。それよりも一隻で一国の空軍にも相当する戦力をもち、世界中に神出鬼没の空母を沈めることができれば、敵の勢力を一気にそぎ落とせると考えたのだった。
海軍のミサイル誘導機にも
Tu-95の優れた性能には海軍も関心をよせた。
当時の対艦ミサイルは現在に比べると未熟なもので、誘導にGPSもなければ光学システムを使った地形照合も使えなかった。ならどうするかというと、レーダーで敵を探知し、無線で誘導波を出してミサイルを誘導する必要があった。
こうして開発されたのがTu-95RTsで、潜水艦やその他水上艦艇のミサイルを誘導するため、もしくは電子偵察のために生産されている。
次なる海軍機
こうして海軍はTu-95の、とくに航続能力のよさを気にいり、この機を対潜哨戒機にも使いたいと考えた。それまで使っていたIl-38の能力では不足になり、もっと性能のいい機が必要になったのだ。
この対潜哨戒型には海軍の意見・事情をふんだんに取り入れ、主翼の翼形を変えたり、燃料タンクをインテグラル式に変更したりした。車輪も強化し、整備の行き届かない海軍飛行場の事情にも対応した。さらに操縦系統は油圧装置で補助されるようになり、パイロットの負担も大幅に少なくなった。このように大幅に改良されたTu-95は新しく「Tu-142」と型番が変えられ、1968年から実戦配備に就いている。
巡航ミサイル母機として
空軍では1960年代半ばには生産が終了していたが、次なる後継機の開発が思うように進まないので、完成して数が揃うまでの穴埋めが必要になった。
こうして再び空軍に返り咲いたのがTu-95MSで、生産中だったTu-142を基に開発している。
この型は新型の巡航ミサイルにも対応できるように作られており、Kh-55ミサイルを爆弾倉のロータリー式発射装置に6発装備できる。
旅客機として
まさか、と思われるかもしれないが、東京-モスクワ間の直行便用として仕立て上げられ営業飛行をしていたことがある。なんでもその特有の爆音が羽田から銀座まで伝わっていたそうである。
途中で航路を逸脱することもしばしば・・・・・・おや、誰か来たようだ。
Tu-95の現在
驚いたことに、いまなお現役を務めている。
最近ではTu-160が再び生産されるようになってきているので、これから痛みの激しい機から順次入れ替えられていく事だろう。
参考文献
文林堂 世界の傑作機No.110「Tu-95/-142 "ベア"」