マルクス・ヴィプサニウス・アグリッパ | |
Marcus Vipsanius Agrippa | |
世没 | 紀元前63年 - 紀元前12年 |
生涯
帝政以前
ローマ帝国の確立を目指すアウグストゥス(オクタウィアヌス)の友人であり、協力者。アグリッパの功績を讃えて、「アウグストゥスの右腕」といわれる。
特に軍事面での協力はいちじるしいものがある。
父親の名前はルキウス・ヴィプサニウス・アグリッパ。兄弟では、兄であるルキウス・ヴィプサニウス・アグリッパと妹ウィプサニア・ポッラがいたと思われる。
騎士階級出身で早いうちから軍務に就いたアグリッパは、カエサル(英語:シーザー)のもとで対立する元老院派と戦う。
紀元前45年3月17日にカエサルの目に留まったアグリッパは、同年にオクタウィアヌス(アウグストゥス)と引き合わされる。これには頭脳明晰ながら病弱なオクタウィアヌスと根っからの軍人で屈強なアグリッパで、互いに補い合うコンビを組ませる意図があった。
2人は同年代であったので、同様な教育を受け親しい友人となる。カエサルがローマ共和国で独裁権を握って行く中、アグリッパとオクタウィアヌスはともにギリシアのアポッロニアに遊学する事になった。
彼らがギリシアに旅立って4ヶ月が過ぎた紀元前44年3月15日、カエサルは暗殺される。カエサルの遺言でオクタウィアヌスが後継者に、アグリッパはその後見人に指名されていた。
アウグストゥス時代
アグリッパの名をとりわけ有名にしたのが「アクティウムの海戦」である。紀元前31年、ギリシア北西岸のアクティウム岬の沖で、アウグストゥスが、アントニウスとエジプトの女王クレオパトラの連合軍を打ち破った。
その後、アウグストゥスが帝政をしき、ローマ帝国が建国された。
平和な時代(ローマの平和/パクス・ロマーナ)となった当時のローマではアグリッパは政治家として、アウグストゥスと親密な関係であったこともあり、率直な意見の交換が可能であったと考えられる。
アウグストゥスの一人娘と結婚したアグリッパは、アウグストゥスの孫が成人するまでの中継ぎ皇帝として考えられていたが、アウグストゥスよりも早く亡くなってしまう。
彼の死でアウグストゥスとティベリウスの関係は悪化し、後継者問題は表面化してしまう。
様々な建造物を建立し、世界遺産のひとつ、ポン・デュ・ガールを建立したことでも有名。
石膏像
デッサンで描かれる石膏像でも、初心者向けの石膏像として有名である。
pixivでも、アグリッパが描かれているデッサンが見受けられる。
しかし、ブルータスやマルス、そしてミロのヴィーナスなどに押されて知名度は低い。