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概説

特に古代エジプト女王の名として知られる女性の名。

世界三大美人の一人に数えられている「クレオパトラ」は正確に言うとプトレマイオス朝の「クレオパトラ“7世”」、彼女以前の「クレオパトラ」も女性統治者として名前を連ねている。


クレオパトラ7世

古代プトレマイオス朝最後のファラオ。フルネームは、クレオパトラ7世フィロパトル。(ギリシア語: Κλεοπάτρα Ζ' Φιλοπάτωρ, ラテン語: Cleopatra VII Philopator)

父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世。

兄弟はベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世(弟)、プトレマイオス14世(弟)が知られる。


エジプトの女王だったということで、映画や挿絵などでは褐色肌エキゾチックな美女といった容姿で描かれることが多いが、近年ではプトレマイオス朝はギリシア人家系であったので彼女の容貌は「ギリシャ系の白人」だったとも言われており、同時代のクレオパトラの肖像としては、ギリシア風の巻き毛スタイルとエジプト風のオカッパスタイルの両方が残っている。(ただし、更にややこしい事に1980年代後半ごろから「古代ギリシャ人は本当に現代人がイメージする『白人』だったのか? むしろ、人種としては中東・北アフリカ系に近かったのではないのか?」という学説が唱えられている)

とは言え確証に至る彼女本人の遺体などは見つかっておらず、地中海沿岸は空気が乾燥して日射が強い地域が多く、エジプトに至っては説明不要であるため、仮にギリシャ系の白人な容姿であっても日に焼けて褐色肌だったという可能性はある。

妹のアルシノエ4世のものと推測される遺骨はアフリカ系との混血である可能性を指摘されているが、遺骨の死亡年齢を調べた結果、史書に記されているアルノシエ4世の死亡年齢よりも10歳以上若く、現在ではこの遺骨はアルノシエ4世とは別人だったと言われている。

また、エジプトの専門家たちはクレオパトラの一族は純血を重視する近親婚で代を継いでいったので被支配階級のアフリカ人の血が混ざる可能性は皆無であると指摘している。


何であれ、彼女の真の容貌は想像の域を出ず、未だ歴史の闇に埋もれたまま。そのイメージを数多の創作や風説が左右しているのが実情だと言えよう。


「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられる。しかし、絶世の美女と称えられることが多い一方、現存する当時の肖像や彫刻ではそこまで美人として描写されていない

「クレオパトラのがあと数cm違えば歴史は違っていた」という格言がのちに生まれたが、これは彼女が実はかなりの鷲鼻で、せっかくの美貌を邪魔していたが故に生まれたとされている。(もっともこの評は、哲学者ブレーズ・パスカルによる誤解と単純な比喩表現でしかない)


統治者の娘として高い教養を修め、周辺諸国の言語をマスターしていたマルチリンガルだったとされる。彼女の美しさは美貌だけではない、知性と品位に満ちた言動によって生み出されていたと考えるべきだろう。


略歴

骨肉の政権抗争

当時のプトレマイオス朝エジプトは、政争が常態化して不安定な内情だった。

14歳の頃に、王国奪還に燃える父・プトレマイオス12世と、野心家の姉・ベレニケ4世の王位争奪戦を目の当たりにしている。

結果、ローマを味方につけた父が勝利。

智略に長け厄介な存在だった姉が捕縛され処刑されるも、4年後に父も他界。

父の遺言により弟プトレマイオス13世との兄弟婚をおこない、共同統治を始める。

クレオパトラはローマとの共存こそ王朝の長命化のためと考えるも、弟は側近の政治介入を許して姉との連携を崩し始めてしまう。


やがてローマで、三頭政治の担い手だったガイウス・ユリウス・カエサルとグナエウス・ポンペイウスが衝突して内乱に発展。元老院に伝手のあった先王の繋がりから、ポンペイウスのいる元老院派へ多量の物資を支援したクレオパトラだったが、この動きをプトレマイオス13世がいぶかしみ、アレクサンドリアの市民を味方につけてクーデターを起こす。

これによってクレオパトラは政権を追われ、東部国境まで追いやられてしまう。ポンペイウスはカエサルに敗北した後にエジプトに脱出したが、頼みのクレオパトラが追われた後だったことで捕らえられて処刑となった。


カエサルとの出逢い

寡兵で抵抗するクレオパトラは、カエサルがポンペイウス追討にエジプトに来訪し、プトレマイオス朝との和解交渉に赴こうとしていた。

これを聞き及んだクレオパトラは、アレクサンドリアに潜入して寝具袋に入って貢ぎ物に仮装し、カエサルのいる王宮の内部へと侵入する。そこでカエサルを魅了して味方につけると、弟との和解の仲介人を依頼し、見事政権へと復帰を果たした。

しかし和解は15日ほどで断絶し、プトレマイオス13世はクレオパトラをカエサル諸共に抹殺すべく、カエサルに軍を指し向ける。カエサルも同行させていた軍で応戦し、ナイル川での戦闘(紀元前47年「ナイルの戦い」)でプトレマイオス派を制圧。プトレマイオス13世はこの戦いで溺死する。

クレオパトラもプトレマイオス13世と共謀していたアルシノエ4世を捕縛し、翌年に催された凱旋式でローマ市内を引き廻している。

その後、弟のプトレマイオス14世と兄弟婚を結んで共同政治を執り仕切り、政治の実権を握る。

こうしてクレオパトラは、カエサルと共に絶頂期を迎え、ローマに御忍びで移住し彼との間にカエサリオンを儲けるなど、ようやく順風満帆な人生を歩み始めたかに見えた。


エジプト崩壊

ところが2年後の紀元前44年、カエサルが暗殺され、ローマの内情が再び混乱期に突入する。

これによりクレオパトラは、ローマから脱出してエジプトに帰国。

帰国後にプトレマイオス14世が早逝し、カエサリオンを擁立して共同政権を発足させる。

二年後の紀元前42年にフィリッピの戦いが勃発し、クレオパトラは対三頭政治派を支援するも同派は敗北。事情聴取の為、三頭政治の一角であるマルクス・アントニウスに出頭を命じられる。

アントニウスに取り入ることを決めたクレオパトラは、荘厳に着飾って香を焚いて芳香を纏い、またアントニウスのために宴席を設けて招待するなどし、瞬く間にアントニウスを魅了した。

その後クレオパトラはアントニウスとの間に三人の子を儲け、アントニウスもエジプトに強く肩入れをしていくようになる。

だがこのアントニウスの態度にローマ本土の民は失望し始め、やがて三頭政治の筆頭であるガイウス・ユリウス・カエサル・オクウィアヌス(のちのアウグストゥス)との衝突へと発展する。


最期

そして紀元前31年。

ギリシャ西岸アクティウムの海戦にて、オクタウィアヌスとアントニウス・クレオパトラ連合軍が激突。激しい戦闘の中、やむをえず戦線から離脱したクレオパトラだったが、なんとアントニウスがクレオパトラを追い懸けて戦線を離脱するという、前代未聞の失態を犯してしまう。

その後、クレオパトラはオクタウィアヌスとの外交交渉を準備するも、条件面で折り合いがつかずに失敗。カエサリオンをエジプトから脱出させ、策を弄するうちにオクタウィアヌス軍はアレクサンドリアに進軍。アントニウスは再度軍を結集させて迎撃に出るも、海戦での失態が響いて寝返りを招き敗北する。

この際、「クレオパトラ自害」(実際は誤報)と聞いてアントニウスも自害を敢行。瀕死の状態でクレオパトラの面前に引き連れられるも、寸前で息を引き取ってしまう。

捕虜となったクレオパトラは、オクタウィアヌスによって厳重な監視体制下に置かれるが、イチジクの籠に忍ばせたコブラに自分を噛ませて自決、この世を去ったという。


クレオパトラの死後、オクタウィアヌスはカエサリオンを呼び戻して殺害。

プトレマイオス王朝は滅亡し、エジプトはローマの属領に組み入れられた。


余談

Netflixが手掛けたドキュメンタリードラマの「アフリカン・クイーンズ:クレオパトラ」はクレオパトラ役の女性俳優に黒人女性を抜擢したことで、エジプト人の考古学者達から歴史を捏造しようとしていると反発されて大炎上し、米テレビ史上最悪レベルの低評価を受けた。


関連タグ

エジプト

ローマ ガイウス・ユリウス・カエサル アントニウス


安藤美姫フィギュアスケート選手。衣装モチーフとしたことがある。

シェイクスピアギリシャ系の彼女をステレオなエジプト人として描いた張本人

クレオパトラトマス:名前の由来になった競走馬。デビューしてわずか2週間で帝室御賞典を制するなど、昭和初期に活躍した競走馬だった。月城という名で繁殖入りし、活躍産駒も多数残している。


世界三大美人

小野小町 楊貴妃 クレオパトラ


他作品のクレオパトラ


クレオパトラモチーフのキャラクター(が登場する作品)


人物・キャラクターとしてではない登場例

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