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クレオパトラ

くれおぱとら

特に古代エジプト女王の名として知られる女性の名。 特にプトレマイオス朝の「クレオパトラ7世」が知られる。
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エジプト系の女性の名前。意味としては「父親の栄光」という意味がある。

概説

世界三大美人の一人に数えられている「クレオパトラ」は正式に言うと、「クレオパトラ“7世”」(時代は古代プトレマイオス朝エジプト王国)である。
彼女以前の「クレオパトラ」も女性統治者として名前を連ねている。

クレオパトラ7世

クレオパトラ7世フィロパトル(ギリシア語: Κλεοπάτρα Ζ' Φιλοπάτωρ, ラテン語: Cleopatra VII Philopator)は、古代エジプト、プトレマイオス朝の最後のファラオ
父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世。
兄弟はベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(英語版)(共に弟)が知られる。
エジプトの女王だったということで、映画や挿絵などでは肌の色の濃いエキゾチックな美女といった容姿で描かれることが多いが、プトレマイオス朝はギリシア人の家系であったので彼女の容貌はギリシャ的であり、同時代のクレオパトラの肖像としては、ギリシア風の巻き毛スタイルとエジプト風のオカッパスタイルの両方が残っている。

「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられる。しかし、絶世の美女と称えられることが多い一方、現存する当時の肖像や彫刻ではそこまで美人として描写されていない
「クレオパトラの鼻があと数cm違えば歴史は違っていた」という格言がのちに生まれたが、これは彼女が実はかなりの鷲鼻で、せっかくの美貌を邪魔していたが故に生まれたとされている。
※もっともこの評は、哲学者ブレーズ・パスカルによる誤解と単純な比喩表現でしかない。

統治者の娘として高い教養を修め、周辺諸国の言語をマスターしていたマルチリンガルだったとされる。彼女の美しさは美貌だけではない、知性と品位に満ちた言動によって生み出されていたと考えるべきだろう。

略歴

骨肉の政権抗争

当時のプトレマイオス朝エジプトは、政争が常態化して不安定な内情だった。
14歳の頃に、父・プトレマイオス12世と姉・ベレニケ4世の王位争奪によりぶつかり、ローマを味方につけた父が勝利。敗北した姉が処刑されるも、4年後に父も他界。
父の遺言により弟プトレマイオス13世との兄弟婚をおこない、共同統治を始める。
クレオパトラはローマとの共存こそ王朝の長命化のためと考えるも、弟は側近の政治介入を許して姉との連携を崩し始めてしまう。

やがてローマで、三頭政治の担い手だったガイウス・ユリウス・カエサルとグナエウス・ポンペイウスが衝突して内乱に発展。元老院に伝手のあった先王の繋がりから、ポンペイウスのいる元老院派へ多量の物資支援したクレオパトラだったが、この動きをプトレマイオス13世が訝しがり、アレクサンドリア市の市民を味方につけてクーデターを起こす。
これによってクレオパトラは政権を追われ、東部国境まで追いやられてしまう。ポンペイウスはカエサルに敗北後にエジプトに脱出したが、頼みのクレオパトラが追われた後だったことで捕らえられて処刑となった。

カエサルとの出逢い

寡兵で抵抗するクレオパトラは、カエサルがポンペイウス追討にエジプトに来訪し、プトレマイオス朝との和解交渉に赴こうとしていた。
これを聞き及んだクレオパトラは、アレクサンドリアに潜入して寝具袋に入って貢ぎ物に仮装し、カエサルのいる王宮の内部へと侵入する。そこでカエサルを魅了して味方につけると、弟との和解の仲介人を依頼し、見事政権へと復帰を果たした。
しかし和解は15日ほどで断絶し、プトレマイオス13世はクレオパトラをカエサル諸共に抹殺すべく、カエサルに軍を指し向ける。カエサルも同行させていた軍で応戦し、ナイル川での戦闘(BC.47年「ナイルの戦い」)でプトレマイオス派を制圧。プトレマイオス13世はこの戦いで溺死する。
クレオパトラもプトレマイオス13世と共謀していたアルシノエ4世を捕縛し、翌年に催された凱旋式でローマ市内を引き廻している。
その後、弟のプトレマイオス14世と兄弟婚を結んで共同政治を執り仕切り、政治の実権を握る。
こうしてクレオパトラは、カエサルと共に絶頂期を迎え、ローマに御忍びで移住し彼との間にカエサリオンを設けるなど、ようやく順風満帆な人生を歩み始めたかに見えた。

エジプト崩壊

ところが2年後のBC.44年、カエサルが暗殺され、ローマの内情が再び混乱期に突入する。
これによりクレオパトラは、ローマから脱出してエジプトに帰国。
帰国後にプトレマイオス14世が早逝し、カエサリオンを擁立して共同政権を発足させる。
二年後のBC.42年にフィリッピの戦いが勃発し、クレオパトラは対三頭政治派を支援するも対派は敗北。事情聴取の為、三頭政治の一角であるマルクス・アントニウスに出頭を命じられる。
アントニウスに取り入ることを決めたクレオパトラは、荘厳に着飾って香を焚いて芳香を纏い、またアントニウスのために宴席を設けて招待するなどし、瞬く間にアントニウスを魅了した。
その後クレオパトラはアントニウスとの間に三人の子を儲け、アントニウスもエジプトに強く肩入れをしていくようになる。
だがこのアントニウスの態度にローマ本土の民は失望し始め、やがて三頭政治の筆頭であるガイウス・ユリウス・カエサル・オクウィアヌス(のちのアウグストゥス)との衝突へと発展する。

そしてBC.31年。
ギリシャ西岸のアクティウム海戦にて、オクタウィアヌスとアントニウス・クレオパトラ連合軍が激突。激しい戦闘の中、やむ追えず戦線から離脱したクレオパトラだったが、なんとアントニウスがクレオパトラを追い懸けて戦線を離脱するという、前代未聞の失態を犯してしまう。
その後、クレオパトラはオクタウィアヌスとの外交交渉を準備するも、条件面で折り合いがつかずに失敗。カエサリオンをエジプトから脱出させ、策を弄するうちにオクタウィアヌス軍はアレクサンドリアに進軍。アントニウスは再度軍を結集させて迎撃に出るも、海戦での失態が響いて寝返りを招き敗北する。
この際、「クレオパトラ自害」の誤報を聞いてアントニウスも自害を敢行。瀕死の状態でクレオパトラの面前に引き連れられるも、寸前で息を引き取ってしまう。
捕虜となったクレオパトラは、オクタウィアヌスによって厳重な監視体制下に置かれるが、イチジクの籠に忍ばせたコブラに自分を噛ませて自決し、この世を去ったという。

クレオパトラの死後、オクタウィアヌスはカエサリオンを呼び戻して殺害。
古代エジプト王朝は滅亡することになった。

関連タグ

エジプト
ローマ ガイウス・ユリウス・カエサル アントニウス

安藤美姫フィギュアスケート選手。衣装モチーフとしたことがある。
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