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トトメス3世

ととめすさんせい

トトメス3世とは、古代エジプト第18王朝6代目のファラオ。軍事に優れエジプト史上最大の国土を獲得した。
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概要

古代エジプト第18王朝における6代目のファラオ
古代エジプト語の名前はジェフティメス。
即位名は「メンペケルラー」で、意味は「ラーの顕現は永続する」。

父はトトメス2世、息子は次代ファラオのアメンホテプ2世

長きエジプトの歴史上でも最強と謳われる軍事力と最大の国土を誇り、最も成功した将軍、あるいは最も偉大なファラオの一人とされる。

経歴

父王トトメス2世によって後継者に指名されていたが、トトメス3世がまだ幼いうちに父が死亡し、
継母のハトシェプストに即位される。
このため治世の前半は彼女の補佐という形でしか政治に携われず、書記と司祭としての教育を受けたのちに軍へと入り、大半の時間を軍隊の中で過ごすこととなった。

軍事的成功

しかし、この時の経験から高い軍事指導能力を身につけたトトメス3世は、ハトシェプストの退位後は彼女の平和的外交政策を否定するかのように周辺諸国への遠征を繰り返す。連戦連勝で国威を回復し、エジプト史上最大の帝国を築くに至った。

特に紀元前1457年の「メギドの戦い」の大勝に名高い。この戦いは書記による死者数の記録が残る最古の戦いと言われており、詳細が書き残され広く公開されたという意味では歴史上初の戦闘と呼ばれる。ちなみにメギドとはハルマゲドンの地の事である。 

なお、この3400年後の1918年9月、第一次世界大戦中のイギリスの軍司令官(後の元帥) エドマンド・アレンビーがこの時のトトメス3世と同じ戦術を取り、同様の成功を収めた。これはアレンビー自身が歴史書で読んだトトメス3世の再現をしようとしたと認めている。

これによってエジプトには大量の富が流れ込み、空前の繁栄を迎える事となる。
この積極的な外交遠征と軍事的偉業から、「エジプトのナポレオン」なる異名で呼ばれる事もある。

一方でこの時急激に国力が増大したことから、それを支えていたアメン神の神官との対立が深まっていったとされ、のちのアメンホテプ4世のアルマナ革命の遠因となったとされる。

ハトシェプストとの関係

彼は、実権を掌握してから遺跡や肖像からハトシェプストの名前を軒並み削り取り、彼女の存在を抹消しようとしたとされる。何千年も後に現代のエジプト学者が損傷した碑文を再構成して彼女の正当な王朝の場所に復元するまで、ハトシェプストの存在は失われたままとなっていた。

これには彼女に対する「恨みによるもの」とする説、あるいは「女性ファラオの前例を残さないよう」消したとする説が唱えられているが、真実は謎のままである。
ただし、彼はハトシェプストの伝統的葬儀を許可しており、また破壊も彼女の詳細な統治が再現できる程度のもので、徹底されたものではなかった。共同統治の時代には、内政はハトシェプストへ任せ、自身は周辺国の状況把握と軍事侵攻を担っていた(ハトシェプストは戦を避けていたが、争いがなかった訳ではなった)。言わばお互い得意分野に専念しており、そこにわだかまりは無かったと解釈されている。

そのため、彼がどのような意思を持って碑文の破壊に及んだのかは今なお研究者たちの中で議論の対象となっているが、「ハトシェプストが生きていた時代には王権を振るえなかったため憎んでいた」というのは古い説として扱われている。

あるいは、エジプトの考古最高評議会、考古省を務めた考古学者のザヒ・ハワスによれば、トトメス3世とハトシェプストの関係は良好であり、ハトシェプストの痕跡を消そうとしたのは女性ファラオの存在を良しとしない第三者だったのではないかと主張している。

余談

「メギドの戦い」におけるメギドとはハルマゲドンの起こる地、つまりイスラエルのことである。ここから、旧約聖書に登場するソロモンの息子で後継者のレハブアムの国を侵略し属国としたエジプトの王「シシャク」とは、トトメス3世の事ではないかという説が存在する。  
時系列的にトトメス3世はソロモン王より500年近く前の時代の人物のためあり得ないが、彼が聖書上のモチーフとなったのではないかという設である。

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