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ポンペイウス

ぽんぺいうす

ポンペイウスとは、古代ローマの政治家・将軍。フルネームはグナエウス・ポンペイウス・マグヌス。

概要編集

生没年:紀元前紀元前106年9月29日 - 紀元前48年9月28日


共和制ローマで執政官などを務めたグナエウス・ポンペイウス・ストラボの息子として生まれる。


自身もヒスパニアでの反乱鎮圧やスパルタクスの残党狩りなどで活躍し、執政官となった。

ヒスパニアでの支配体制も再構築して公平な統治を行い、さらに海賊征伐や西アジアへの遠征でも活躍し、ローマ市民から多大な人気を得た。


その後元老院との間に軋轢が生まれ、紀元前59年には政敵であったクラッスス、そしてガイウス・ユリウス・カエサルと非公式に手を組み、『三頭政治』と呼ばれる体制を築いて元老院に対抗した。

この頃にカエサルの娘ユリアと結婚(前妻は不倫したため離縁。ちなみにその不倫相手はカエサルである)、歳が20歳以上違ったにもかかわらず仲の良い夫婦となる。

何世紀もに渡って世界最大の劇場と呼ばれた、ポンペイウス劇場の建設もこの頃に行った。


しかし紀元前54年にユリアが死亡、さらに翌年にはクラッススがパルティア(古代イランの王国。騎射術のパルティアンショットはこの国が由来)との戦争で戦死してしまう。

カエサルはポンペイウスに自分の大姪オクタウィアとの縁談を持ちかけたが、ポンペイウスはこれを拒否し、クラッススの息子プブリウス(父親と同じく戦死)の未亡人コルネリアを新たな妻に迎える。


それ以降、ポンペイウスは元老院派に寝返る形となり、三頭政治は完全に崩壊。

カエサルと元老院派との対立は激しくなり、とうとうカエサル派がルビコン川を渡って内戦が勃発した。

ローマから撤退したポンペイウスは軍を再編成すべく、かつて征服した東方属州で向かうことに決め、多くの元老院議員がこれに従った。


ポンペイウスはギリシアなどでカエサルと戦いながら東方を目指し、最終的にはエジプトへ向かう。

プトレマイオス朝エジプトは当初ポンペイウスに協力的だったが、結局はカエサル側に付くことを決め、ポンペイウスはエジプト軍に暗殺されてしまった。


ファラオであるプトレマイオス13世の命令で、ポンペイウスの首はカエサルの元へ届けられた。しかしカエサルは激怒して首を持ってきた従者を殺し、かつては友だったポンペイウスの首を抱いて泣いたという。

その後、ポンペイウスの遺灰と指輪はカエサルからコルネリアへ送られたとされている。


そして紀元前44年、カエサルはポンペイウス劇場にて共和主義者たちから滅多刺しにされ、ポンペイウス像の下に崩れ落ちて生き絶えた。


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グナエウス・ポンペイウス セクストゥス・ポンペイウス

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