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岩村明憲の編集履歴2016/02/15 23:27:47 版
編集内容:ヤクルト退団後追加

概要

所属福島ホープス(1)
出身愛媛県
生年月日1980年10月15日
身長・体重173cm、73kg
投球・打撃右投右打
守備位置内野手
プロ入り2006年大学生・社会人ドラフト5位
経歴ヤクルトスワローズ(1997-2006)→タンパベイ・デビルレイズ(2007-2009)→ピッツバーグ・パイレーツ(2010)→オークランド・アスレチックス(2010)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2011-2012)→東京ヤクルトスワローズ(2013-2014)→福島ホープス(2015-)

愛媛県出身。宇和島東高時代は宮出隆自とチームメイトだった。

1996年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。

一軍デビューは1998年2000年にはサードのレギュラーを獲得、2001年には背番号「1」を池山隆寛から継承。以降2006年オフにメジャー移籍するまでスワローズを代表する選手としてチームを支えた。

2007年からはメジャーリーグでプレー。2007年から2009年まで在籍したタンパペイ・レイズではサード、後にセカンドにコンバートされながら若いチームの精神的支柱として活躍。チーム初のポストシーズン、ワールドシリーズ進出に貢献した。

2010年ピッツバーグ・パイレーツで開幕を迎えるも、打撃不振に陥り9月6日に解雇。後にオークランド・アスレチックスに入団するも目立った成績を残せず解雇された。

2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。同じくメジャーリーガーだった松井稼頭央とともに主力として期待されるも、攻守ともに精彩を欠いた。セカンドには内村賢介が定着、それに押し出される形で高須洋介がサードに入ったたため出番を失う。

2012年も不振を極め、戦力外通告を受ける。オフに東京ヤクルトスワローズへの7年ぶりの復帰を果たした。

しかしヤクルトでも戦力になれず、2015年オフに戦力外通告を受ける。

その後ベースボール・チャレンジ・リーグ福島ホープスに選手兼任監督として就任した。

2015年は前期は最下位に低迷したが、後期は地区優勝を果たした。

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