モチーフ元については初霜(駆逐艦)を参照。
図鑑データ
「初春型四番艦、初霜です。皆さん、よろしくお願いします!」
概要、出撃します!
実装されている初春型艦(第二十一駆逐隊)の中では一番最後の型番だが、妹にまだ有明と夕暮の2隻が居るので末っ子では無い。そもそも初霜は初春によって発覚した初春型の問題点の改修工事を、竣工直前に同型3番艦の若葉と一緒に施された事により、若葉よりも34日先に竣工する事になったので若葉の妹かどうかも…。
絵師が初春・子日と異なるのはおそらくこれが理由。
これでまた、容姿を守れるわ。
長い黒髪を先端で縛ってあるのと、桃色の瞳が特徴。
服装は若葉と同じく、紺のブレザーとプリーツスカートに、白のカッターシャツ、赤いネクタイを着用。だらしない着方の若葉と違ってきっちり着こなしている。彼女のみ黒のハイソックスを穿く。艤装はマスト付きの煙突を背負い、装備は腕を覆うサイズの、連装砲を右腕、単装砲を左腕に装着している。両脇に三連装の魚雷発射管あり。中破以上になるときっちり着ていたブレザーがなくなり駆逐艦とは思えない勇ましい表情を見ることができる。
性格の護衛なら、任せてね。
口調は丁寧語と女性的な常体語が半々で、提督相手にも全て丁寧語で喋る訳では無い。
非常に仲間思いで、「守る」が口癖になるほどよく護衛を買って出る。その為の戦闘は厭わない。むしろノリノリ。中大破した状態で入渠すると、普通多くの艦娘が「こんなにボロボロにさせられて悔しい」「戦いから離れてゆっくり休みたい」とこぼすのだが、初霜は「これでまた皆を守れるわ」と言ってのけるほどだ。
ちなみに彼女の「提督のおさわりに対する反応」の枠に入っているセリフは「て、提督・・・? ・・・ああ、魚雷管の角度を直してくれてるんですね。いつもすみません。」である。このセリフの意味を、ただの天然な子と取るか、提督を気遣える子と取るかは、このセリフを聞いた提督次第。どっちにしても「いつも」と言われている理由が気になるが。
ケッコンカッコカリをすると、恋愛感情に関する彼女らしい本音が聞ける。
声が非常に特徴的と言われるが、その声が良いんだという提督も少なくない。
史実も知ってくださいね。
彼女を語るうえで欠かせないのが、なんといってもその史実。
本人が図鑑説明で「ほんと、頑張ったんです」と語っている通り、数々の激戦に参加して終戦の2週間前に擱座するまで前線に立ち続けている。駆逐艦以上の艦艇の中で終戦日を迎えずに(実質的に)戦没した一番最後の艦がなんと彼女。
多数の僚艦や姉妹艦が沈んでいく中、艦隊を支え続けた歴戦の強者である。
しかも、「奇跡」と呼ばれた作戦に複数参加している点、最後に行動不能となるまではほとんど死傷者が出なかった点、そして彼女の護衛対象となる艦及び彼女と行動を共にする僚艦は、よほど理不尽な状況でなければその作戦を生き残った可能性が高かった点が挙げられる。
例を挙げてみよう・・・;
1943年7月の「キスカ島撤退作戦」の参加艦の1隻で、奇跡とされる本作戦の立役者であるが、実はその際、同型の若葉の右舷に艦首から衝突し、その反動で艦尾が振れて後ろを航行していた長波の左舷に接触してしまった。原因は阿武隈が濃霧の中行方不明になっていたところから突然現れた海防艦「国後」に衝突され、その混乱によるはずみであった。
初霜、長波の作戦行動に問題はなかったが、若葉は損傷が大きく、その場で離脱し帰投する事となってしまった。そのせいで若葉だけ奇跡の作戦に参加出来ず仕舞い…。
若葉はこの件を艦娘になった今でも根に持っているようであり、初霜は図鑑上で注意されている。
1944年1月に初春と共に瑞鳳、雲鷹(艦これ未実装)の護衛をしていたところ雲鷹が米潜水艦ハドックの雷撃を受け大破状態になってしまった。ここで初霜は初春に瑞鳳護衛を任せ単艦で速力の落ちた雲鷹をサイパンまで対潜哨戒を行いながら護衛。さらには応急修理を終えた雲鷹が横須賀まで回航される時も哨戒活動を続け彼女を護り続けた。
5月、マリアナ沖海戦の時は雪風、響、卯月と共に補給部隊を護衛し、補給は無事終えたものの米艦載機の攻撃により補給部隊のうち2隻は航行不能になり処分せざるをえなかった。しかし初霜と共にダバオから遅れて出撃した速吸は無事であった。
10月末、霞、初春、潮、曙と共に第二次多号作戦に参加し、能登丸一隻を失っただけで人員物資の揚陸率は90%と無事に成功した(ただしこれ以降の多号作戦では島風や長波など多くの艦が沈没している。)
この後、北号作戦までに霞と共に榛名を護衛、被雷した妙高の護衛も行っている。
1945年2月、戦闘艦艇のみによる強行輸送作戦「北号作戦」の6隻の中に属し、敵の攻撃にさらされながらも全員無傷で輸送作戦を成功させた。
「坊ノ岬沖海戦(大和水上特攻作戦)」においては、参加艦艇10隻中6隻が撃沈、2隻が中・大破という惨状の中、あの幸運艦・雪風とともに多数の生存者を救助、ほぼ無傷で生還している。
この海戦は、あの雪風ですら不発弾ながら1発被弾し、戦死3名戦傷15名の被害を出しているが、初霜に至っては被弾0、至近弾による戦傷2名という、非常に優れた結果を残している。
また、戦闘の影響で大和の通信設備が破損したため、初霜に通信代行の依頼があったという。
初霜はこれを受諾、米軍の攻撃は苛烈、激烈を極めたが、大和に寄り添い送られる手旗・発光信号を各艦に伝達し続けた。
速力の劣る初春型でありながら、歴戦を生き抜いた乗員たちの技量の高さもあってこの激戦をほぼ無傷で切り抜けたのである。
なお、栄華を誇った第二水雷戦隊の解隊式も初霜の艦上で行われている。
生還後は雪風と組み、本土決戦に備えて防衛任務に付く。
しかし、停泊港であった宮津港が空襲を受けた際、沖に出て回避しようと雪風ともに出港した所、機雷に触れて大破してしまう。(注1)
徐々に沈み始めた為、艦長による「沈没させるよりは」との判断から強引に浅瀬に座礁させ、沈没を免れた。
時に45年7月30日。もうあと残り2週間で終戦というところで力尽きたのである。
多数の激戦をくぐり抜けながら、大きな被害・戦死者の無かった初霜は乗組員の練度が非常に高く、隊伍を組んだ雪風乗員から賞賛されている。
座礁した船体は戦後に解体された。
墨田区の山田記念病院には、初霜の錨が現存している。
これは、病院の創設者が初霜の軍医を務めていた縁で、解体後に引き取ったことに由来する。
そして艦これでは
という史実であるにもかかわらず、初春型自体の低評価の煽りを受けたか『艦これ』では1-1でも普通に入手できるコモン駆逐艦でしかなく、能力も尖ったものは無かった。アンソロジーや二次創作でも扱いは少なく、同じ絵師つながりである第六駆逐隊と比べても不遇な扱いに甘んじていた。
歴史好きのコアなファンが静かに語る程度、の時期が長らく続いたが、せめて雪風ほどではないにしても潮くらいの幸運要素は反映されて然るべきではないかという意見は強く、時雨や潮、姉艦である初春の改二実装などで次第に「次に改二が実装されそうな歴戦の武勲艦」としての初霜の認知も大きくなっていった。
そして・・・
その悲願が漸く実ったか、2015年1月23日、満を持して改ニ実装。
艦隊を敵艦載機から守る高い対空値に、あの時雨を凌駕する運初期値53と、彼女の武勲にふさわしいステータスとなっている。詳しくは該当記事で。
また、彼女は艦これ生存組として扱われることが多い。
というのも、終戦2週間前で力尽きたものの、沈没した訳ではないため、瀕死状態で終戦を迎えた、という見方が大勢を占めるからだろうか。
注
注1)ここで初霜が接触した機雷については、「連合艦隊の栄光」等を出典とした、雪風が触れても爆発しなかった「回数機雷」(数度の接触で爆発する機雷)であるとする説。
「護衛部隊の艦艇」等を出典とした、米空軍の散布した「磁気機雷」であるとする説の二つがある。
そして、当時の機雷は磁器機雷と回数機雷の両方の用途で使用可能なものが広く用いられているため、一概にどちらが正しいとは言えない事に注意が必要である。
関連イラスト発見です!
改二
提督に関連タグがあるみたい。
第十七駆逐隊-最後に所属した駆逐隊。
第一水雷戦隊-彼女は当戦隊の在籍日数最長の艦艇である。