概要
艦これのカップリングでは、大北・五航戦のような、姉妹愛が有名所だが、こちらは史実を紐解く事で繋がりを感じられるカップリング。
史実
雪風と初霜の絡みは、戦艦大和最後の戦闘「坊ノ岬沖海戦」から始まる・・・
と言われることもあるが、坊ノ岬が始まる1年以上前の1944年の2月に千歳を共に護衛したのが最初である。
そこから1カ月もせずに二人は再び出会い、3月に横須賀まで輸送艦である東山丸をともに護送した。
3度目に出会ったのが同年11月のマリアナ沖海戦のあ号作戦の時。初霜・雪風だけではなく響・卯月などと共に輸送艦の護衛任務に参加し、本部隊への補給は成功したが帰路で敵艦載機の襲撃に遭い輸送艦2隻が行動不能となり、その場での処分を行った。
そして4度目に出会ったのが坊ノ岬海戦の時である。
互いにこの時点で歴戦艦として名の挙がる駆逐艦で、他にも霞・浜風・磯風・朝霜・涼月・冬月も含めどれも歴戦の駆逐艦であったのは言うまでもない。
雪風は、幸運艦と呼ばれるほどの奇跡を成し遂げてきた。
初霜は、奇跡の作戦、キスカ島撤退作戦と北号作戦のメンバーであった。
この二隻が戦艦大和を旗艦とする第二艦隊の水上特攻の一員(軽巡矢矧が旗艦の第二水雷戦隊)として参加した坊ノ岬沖海戦において、雪風は二度目の損傷(魚雷の艦底通過が1本とロケット弾の直撃が1発。ただしロケット弾の直撃は宮津湾空襲だったとの証言もある)を受けたものの、初霜は唯一無傷(雪風と同様、魚雷の艦底通過が1本あったが損傷なし)、しかもアメリカ空母艦載機に集中攻撃を受ける大和の傍に寄り添い手旗信号等を介しての通信代行を行うという難事を見事に成し遂げ両艦無事に佐世保へ帰還出来た。(他に佐世保へ帰還出来たのは、ロケット弾の不発による損傷を受けた冬月と、艦首を大破し後進によるギリギリの帰還を果たした涼月の秋月型駆逐艦2隻のみ)
しかし、この海戦によって第十七駆逐隊(海戦時は、磯風、浜風、雪風)および第二一駆逐隊(海戦時は、朝霜、霞、初霜)が二人を除いて全滅。
この為、この二隻のみで構成される第十七駆逐隊が誕生する。
歴戦を生き抜いてきた二人だが、最後まで二人きりで終わりを迎えることはできなかった。
1945年7月30日早朝、機雷により行動が制限されてる中での対空戦闘を2隻は行う。どちらも幸い敵艦載機からのロケット弾や爆撃などは直撃しなかったものの、初霜が万一のために陸への擱座を狙ったのか陸へ接近したところ機雷に接触。大爆発が起き、さらにもう一度爆発。一人でも多くの乗員を生き残らせるためにと酒匂艦長は初霜を獅子崎付近に擱座させる。
初霜は戦時中、駆逐艦以上の艦艇として最後に行動不能となったであると同時に、雪風の目の前で最後に消えた艦艇となった……と思われていたが、初霜の船体は戦後も擱座したまま残っていた。つまり、2隻とも(状況はそれぞれ異なるとはいえ)終戦を迎えたのである。
雪風の方は復員任務に従事したのち、戦時賠償艦として台湾海軍に引き渡され、「丹陽」の名で1960年代まで活躍したのは周知のとおり。他方、日本に残された初霜は1951年に舞鶴に曳航、解体されている。
二艦に存在する闇
雪風・初霜は、互いに悪評エピソードを持つ。
「雪風は、護衛対象である戦艦や空母が次々沈められたため、他人の運を吸い取り自分だけ生き残る死神と同僚艦(第十七駆逐隊)の乗員の一部から揶揄を受けた」とされるが、これは作り話である。
戦争中の記録や研究家の調査結果から、史実では雪風だけが生き残った戦いは一度もなく、むしろ雪風とともに行動した場合、仲間の被害は少なかった事が判っている(詳細)。
「第十七駆逐隊の乗員の一部から死神と揶揄された」と言う話もWikipediaに書き込まれた捏造である。
元々は雪風が第十七駆逐隊に編入となった時、日本海軍の駆逐艦隊の定数が4隻であるのに対し、雪風の編入によって艦番号や艦隊行動の序列も決まっていない5隻編制になってしまうため、第十七駆逐隊所属の谷風があまり歓迎しなかったという話である。
これをWikipediaの雪風、谷風の記事に記載する際、「5隻編制」に関する記述を全て削除し、まるで雪風を気味が悪い船であるかのように脚色した捏造である事が判明している。
出典の著書が入手困難なためか、好き放題尾ヒレをつけた上で「揶揄」の一言で済まそうとする傾向が多々あるが、元の著書には「雪風は護衛対象である戦艦や空母が次々沈められた」という史実に反する記述は勿論のこと、「他人の運を吸い取り自分だけ生き残る」だの「死神」だの、そんなオカルト染みた話は一言も書かれていない。
大体、雪風が第十七駆逐隊に編入するまでに、雪風の護衛対象だった戦艦、空母で沈んだのは比叡一隻である。一方、第十七駆逐隊はミッドウェー海戦で護衛した南雲機動部隊の赤城、加賀、蒼龍の三隻が沈んでいるので、「雪風の護衛対象の戦艦や空母は次々沈んだ」と因縁つけたら、辻褄があわない。
尚、雪風は第十七駆逐隊に編入される1年前に、同隊の谷風、浜風と同じ部隊(1943年6月から7月にかけて南東方面艦隊指揮下外南洋部隊でコロンバンガラ方面への輸送任務に従事)に編入されて何度も出撃している。
雪風が他人の運を吸い取り自分だけ生き残る死神であれば谷風も浜風も沈んでいなければおかしいが、この間、谷風も浜風も大きな損傷はしていない。
それどころか特に雪風と共に出撃する事が多かった浜風は、コロンバンガラ沖海戦の勝利などにより雪風と共に表彰までされている程で、この捏造は簡単に矛盾が発覚する。
初霜は、有名な戦記『戦艦大和ノ最期』(正確にはGHQに発禁処分にされた初版には無い追記部分である)で、「救助艇が満杯になったのに、次から次へと人が船べりに手をかけてきて転覆しそうになるので、軍刀でもってそれらの人々の手首を切り落とし、足で蹴り落とした」というデマを流され、初霜・大和双方の当事者からの反論があったにも拘らず著者は結局、その内容を訂正する事無く亡くなった(もっとも、著者は生前「アレはフィクション作品なのでその時代に有り得そうな事を書いた」という意図の発言をしている)。
Wikipediaの雪風の記事は現在は修正されているが、繰り返し捏造されるため、「出典の著書にそんな事は書かれていない」と注釈を付けられるまでになった。
初霜も、戦後60年も経って尚、朝日新聞の天声人語で手首切り事件の記述が事実であったかのように取り上げられた。
二艦に纏わる悪評は心なき人間によって今も続けられている。
艦これにおいて
概要でも説明した通りであるが、艦これにおいては第二次大戦終結時に残存していたことを除けば、全くと言っていいほど接点が感じられない。
互いのセリフには当然登場せず、図鑑説明でも名前を出していない。
後の追加台詞等による繋がりの示唆が期待される。
ただ、両名の近くで終戦を迎えることができた潜水母艦・長鯨が実装され、彼女から両名へ声をかけるようになった。
公式4コマ50話にて二人で仲良く大和で涼を取っていた程度で長らく認知すらされていなかった組み合わせだが、初霜の武勲と改二を推す声に合わせて知名度が上昇。それに伴いイラストや漫画も増えつつある。
余談ではあるが、平成27年1月23日、初霜改二が実装され、雪風改と初霜改二の初期運の合計は113。最大値に至っては199という凄まじい幸運コンビとなった。更に令和2年11月13日、賠償艦丹陽及び台湾から帰国したifの雪風改二が実装された。雪風改二の幸運値は初期63、最大120と、更に強運ペアの能力が向上している。
令和4年末~5年春にかけて放映・配信された「艦これ」いつかあの海で最終話エンドロールにて私服の初霜・丹陽が実艦「初霜」の錨がある東京都墨田区の山田記念病院を背景に登場した。なお、作中に登場させるため「特別協力」として山田記念病院がエンドクレジットに登場している。これは作中に登場した「西肥バス(西肥自動車株式会社)」がエンドクレジットに登場したのに続く例となっている。