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スパルタの編集履歴

2016-04-13 13:08:49 バージョン

スパルタ

すぱるた

ペロポネソス半島南部にあったドーリス人の都市国家。Σπάρτη。

極端にストイック軍事国家として有名。

正式名かつ自称はラケダイモンだが、スパルタの名で有名である。

紀元前600年ころはギリシャ世界を暴れまくったが、結局紀元前146年に都市国家ローマに属州として組み込まれてしまう。


スパルタではこれが日常生活・・・。(レオニダス王時代)


  • 日本語:スパルタ
  • 英語: Sparta
  • ドーリス語: Σπάρτα / Spártā スパルター
  • アッティカ方言:Σπάρτη / Spartē スパルテー
  • 現代ギリシャ語:Σπάρτη / Sparti スパルティー
  • 正式:ラケダイモン
  • ギリシャ語:Λακεδαίμων / Lakedaimōn ラケダイモーン

『スパルタ』の表記由来

アッティカ方言では『ラケダイモン』のことを『スパルテー』といい、それをギリシャ人が『スパルタ』という表記で『ラケダイモン』を指すようになったため。


概要

ペロポネソス同盟の盟主となりアテナイテーバイなどと覇権を争った。他のギリシャ諸都市とは異なる国家制度を有しておりとくに軍事的教育制度は「スパルタ教育」として知られる。

初期

紀元前10世紀ころに祖先がギリシア北方からペロポネソス半島に侵入し、ミュケナイ時代の先住民アカイア人を征服しヘイロタイ奴隷)にした


最盛期

こうしてペロポネソス半島をほぼ蹂躙したスパルタは、紀元前600年ごろにペロポネソス同盟というスパルタを主として、その参加国をスパルタの属国とする同盟を作る。

ここがスパルタの最盛期となるらしく、紀元前400年代には、ペルシア戦争後、優勢を誇ってデロス同盟を組織したアテナイがスパルタに挑んだが、スパルタはことごとく蹴散らし、それまで優勢を誇ったアテナイは凋落し、代わってスパルタがギリシア世界の覇権を握り支配者として君臨した(ペロポネソス戦争)。


衰退

紀元前300年代初頭にはスパルタの支配に反発したギリシア諸都市がペルシアの援助の下に対抗したが、その軍事的優越性が揺らぐことはなかった(コリントス戦争)。

しかし、その中で指導的役割を担ったテーバイがギリシア世界の覇権を狙ってボイオティア同盟を組織し、これを打ち挫こうとしたスパルタだったが、紀元前371年に「レウクトラの戦い」で呆気なくテーバイに敗れて覇権を失った。

その後しばらくは、テーバイの覇権に対抗してアテナイと協力することになる。

紀元前300年代前半になると、マケドニア王国がアテナイやテーバイへの侵略を開始し、アテナイやテーバイはスパルタに協力を申し出るが、スパルタはこれを拒否。

結果、紀元前338年のカイロネイアの戦い後、アテナイやテーバイはマケドニア王国が組織したコリントス同盟の版図に組み込まれてしまった・・・。


紀元前300年ころにマケドニア王国がスパルタを仲間に組み込もうとしたが、スパルタはこれを拒否、結果マケドニアと交戦するも、マケドニアに敗れてしまう・・・(メガロポリスの戦い)。


マケドニアに敗北後、いろいろスパルタも改革を行ったが、結局マケドニア王国→新覇権国のローマニアと多々抗戦するもスパルタはことごとく敗北、国家集団の体を失う・・・。


そして、紀元前146年にアカイア同盟をコリントスの戦いで破ったのを機に、スパルタを含むギリシア全土をローマの属州に組み込み属州アカエアとなる、これにより国家としてのスパルタの息の根は止まる(ただしアテナイと共に過去の功績から一定の自治権を認められた)。


社会生活 リュクルゴス

スパルタ市民はリュクルゴス(Lykurgos)といわれるに基いた社会生活を営んだ。

スパルタ市民(5万人)は基本みな『軍人』であり、家族構成や、社会基盤がすべて軍団の構成員を基準に設置されている。

などがある


奴隷の過酷な扱い

スパルタはギリシャ諸都市の中でも群を抜いて『侵略的』だったので、当時のギリシャ世界においてはかなりの『領土』を持つ国家集団であった。そして征服した住民への支配も苛烈を極めた。


まず奪った土地はスパルタ市民(約5万人)に均等配分され約15万人とも25万人ともいわれるヘイロタイは奴隷の身分から解放されることも移動することも許されず土地を耕してスパルタ人に死ぬまで貢納させられた。


そして、ヘイロタイに反乱の兆しが見られると、クリュプキアと呼ばれる処刑部隊が夜陰に紛れてヘイロタイの集落を襲い、住民を虐殺して回った。 そして住民の遺体は見せしめに街道に張り付けられた。


他のギリシア諸都市に見られないその過酷な奴隷制度は、国家が奴隷を厳格に管理するものであり、私有奴隷はほとんどいなかった。

このため、他のギリシア諸都市に見られた私有奴隷の過剰増加による(奴隷制度に安住した有閑階級の肥大・増加の弊害でもある)技術力や労働の質などの低下による衰退がある程度抑えられた面もある。


双頭元首政

国政においては2人の世襲の王が並立し、その権限は戦時における軍の指揮権などに限定されていた。2王家はそれぞれアギス家エウリュポン家という。

スパルタの統一過程で採られた妥協の遺制と思われる。

ペルシア戦争のテルモピュライの戦いで有名なレオニダス1世はアギス家の王である。


「スパルタ教育」

現代日本では厳しい教育一般について、比喩として「スパルタ教育」と呼ばれることがあるが、この言葉を教育論として執筆・推奨したのは、あの石原慎太郎である。


関連タグ

300:スパルタを舞台にしたアメコミ/映画

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