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大和ホテルの編集履歴

2016-07-19 09:25:20 バージョン

大和ホテル

やまとほてる

日本海軍の戦艦大和についたあだ名。

概要

日本海軍の戦艦大和についたあだ名。

居住性能がよかったことと、トラック泊地で保養所代わりに使われていたことと、なかなか出撃しなかったことから。

戦時中の時点で源田実が横須賀海軍砲術学校での講義中にピラミッド・万里の長城とともに世界三大いらない物と発言して問題になった。


大和は用途の都合で武蔵と共に、当時の日本軍で恐らく一番住み心地のよい住宅としても機能していた。

  • 弾薬庫の冷却機能の余力で士官室は冷暖房完備。
  • 巨大な冷蔵庫のおかげで食料の備蓄量と種類は桁外れ。
  • 厨房は設備人員ともに非常に充実し、の皮むき機、肉挽き機なども設置。士官食堂の厨房は本職の料理人が担当し、連合艦隊司令部用の料理人は一流どころの飲食店出身者で構成されていた。連合艦隊司令長官の食事に至っては軍楽隊の伴奏つき。蔑ろにされがちな下士官と兵卒用の厨房でもまともな料理を提供していた。
  • うどんお汁粉などを艦内で製造可能で、サイダーアイスクリームの製造機を設置。ちなみに各種甘味は酒保で購入可能であった。
  • 下士官と兵卒が大挙して釣り糸を垂らし、食事用のを現地調達。手空きの乗員が釣りをする光景は他の艦でも見られたが、大和の場合は乗員の数が桁違いに多く目立った。
  • 分隊対抗運動会もしょっちゅう開催。

このような豪華設備と超快適居住環境のおかげで、乗組員たちは訓練や作戦時以外、リゾート同然の極楽勤務を日々送っていた。

当然、外部からの心証は悪く、仲の悪い陸軍から「贅沢ですね」と皮肉られ、海軍内でも「こんな贅沢で戦に勝てるのか?」と言われていた。


関連タグ

武蔵旅館武蔵御殿武蔵屋旅館:同様の理由で戦艦武蔵についたあだ名。

柱島艦隊長門陸奥扶桑山城はほとんど柱島泊地を離れなかったため。

修理レパルスレナウン(読んで字の如し)

関連イラスト?

艦隊これくしょんのせいでラブホテル扱いされることもしばしば……。

休憩も必要です!

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