- 日本の各地に実在するホテルの名称
- 南満州鉄道が経営する沿線各地にあったホテルチェーン。「ヤマトホテル」の名で経営された。
- 大日本帝国海軍の戦艦大和についたあだ名。
- 2の戦艦大和をモチ-フにした艦隊これくしょんの大和の主に大人向けなイラストにつけられるタグ。
- 5宇宙戦艦ヤマト2199の宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟で登場する。
ヤマトは大マゼラン外縁部で、ガミラスの敵対国家「帝星ガトランティス」の艦隊と遭遇し、相手指揮官であるゴラン・ダガームから、ヤマトの明け渡しを要求される。コスモリバースシステムそのものとなったことからも要求を拒否して逃走するヤマトに、ダガームは旗艦「メガルーダ」に搭載された最新兵器「火焔直撃砲」による猛攻を仕掛ける。ヤマトは辛くもワープでダガーム艦隊を振り切るが、薄鈍色の異空間に迷い込んでしまったうえ、何らかの意志により艦の制御を奪われて謎の惑星へ誘導される。
情報取集のため、古代進は桐生美影、沢村翔、新見薫、相原義一、アナライザーの5名と1体で上陸班を編成して惑星へ上陸するが、彼らの耳にもバーガーと同じ謎の歌が響く。そして惑星を謎の超常現象による殻が覆い、上陸班はヤマトと分断されてしまう。探査を続ける古代たちは、惑星上の密林でそこにあるはずのない戦艦の残骸を見つける。それは、かつて地球で沈没した戦艦「大和」だった。古代たちは大和内部へ進入するが、そこは優美なホテルになっていたうえ、出入り口が塞がって閉じ込められてしまう。そして奇妙なことに、美影は密林にも大和にも、そしてホテル内部にも見覚えがあった。
ここでは2と3、4について説明する。1についてはgoogleで検索されたい。
2について
概要
日露戦争で満州の権益を確保し、それに合わせて権益を経営するべく半官半民の特殊会社・満鉄が創立されると、その鉄道路線に併せてホテルが建てられ、ヤマトホテルの名前でホテルチェーンとして営業を開始した。
店舗は大連、大連星が浦、旅順、長春、瀋陽、ハルビンなど、基本満鉄沿線に置かれ、戦後満鉄が解体された後は中国がその建物を引き継ぎ、このうち大連・長春・瀋陽・ハルビンの旧ヤマトホテルは現在もホテル名を変えながらも営業を続けており、いずれも3つ星ランクと何気に豪華である。なお、旧旅順ヤマトホテルは人民解放軍に接収され、その後は同軍の招待所として利用されたが、近年老朽化により閉鎖された。
関連タグ
3について
概要
居住性能がよかったことと、トラック泊地で保養所代わりに使われていたことと、なかなか出撃しなかったことから。
戦時中の時点で源田実が横須賀海軍砲術学校での講義中にピラミッド・万里の長城とともに世界三大いらない物と発言して問題になった。
大和は用途の都合で武蔵と共に、当時の日本軍で恐らく一番住み心地のよい住宅としても機能していた。
- 弾薬庫の冷却機能の余力で士官室は冷暖房完備。
- 巨大な冷蔵庫のおかげで食料の備蓄量と種類は桁外れ。
- 厨房は設備人員ともに非常に充実し、芋の皮むき機、肉挽き機なども設置。士官食堂の厨房は本職の料理人が担当し、連合艦隊司令部用の料理人は一流どころの飲食店出身者で構成されていた。連合艦隊司令長官の食事に至っては軍楽隊の伴奏つき。蔑ろにされがちな下士官と兵卒用の厨房でも良い料理を提供していた。軍楽隊の演奏は練度維持も兼ねてのものとされる。
- うどんやお汁粉などを艦内で製造可能で、サイダーやアイスクリームの製造機を設置。ちなみに各種甘味は酒保で購入可能であった。
- 下士官と兵卒が大挙して釣り糸を垂らし、食事用の魚を現地調達。手空きの乗員が釣りをする光景は他の艦でも見られたが、大和の場合は乗員の数が桁違いに多く目立った。
- 分隊対抗運動会もしょっちゅう開催。
このような豪華設備と超快適居住環境のおかげで、乗組員たちは訓練や作戦時以外、リゾート同然の極楽勤務を日々送っていたと言われる。
当然、外部からの心証は悪く、仲の悪い陸軍から「贅沢ですね」と皮肉られ、海軍内でも「こんな贅沢で戦に勝てるのか?」と言われていた。
旗艦としての任務以外にも、停泊中は足りない燃料タンクやタンカーの代わりを務めたり、艦内の工作室などを活かし、工作艦や駆逐艦母艦が行う業務の一部を行ったりしていたとされる。
寂れゆく末期
ただし、大和が上記のような快適な環境を維持できていたのは、大戦中期までと伝えられる。
画像などの記録は乏しいものの、乗員などの証言によれば、
- 対空要員などの増加により艦内が過密化。衛生環境も劣悪となり、インキンタムシに悩まされる者が続出。
- 火災対策のため、木製(可燃物)の内装、調度品はことごとく廃棄・陸揚げ(大和で実施されたかは不明だが、同時期の駆逐艦などでは、内部の塗装まで根こそぎ剥がしたという)
- 「贅沢は敵だ」とばかり、かねてから批判のあった空調も停止。
と、大戦末期は惨憺たる有様だったらしい。
現代のホテル(宿泊施設)でも、経営難などで内部が次第に荒れ果てていく例は事欠かないが、「大和ホテル」もまた、戦局の悪化により日増しにすさんでいった模様で、寂しい逸話ではある。
関連タグ
武蔵旅館・武蔵御殿・武蔵屋旅館:同様の理由で戦艦武蔵についたあだ名。
柱島艦隊:長門・陸奥・扶桑・山城は他の艦と比較すると出撃機会が少なく、柱島泊地にいることが多かったため。
高雄(重巡洋艦):直接の関係はないものの、こちらは戦後元関係者によって実際に足利に「ホテル高雄」が設立されている。実在の軍艦からホテル名をとったのはこれが唯一の事例である。
4について
概要
pixivにおいては上記の実在の戦艦大和の絵で使われることは皆無で、もっぱら艦隊これくしょんに登場する大和の絵につけられるのだが、ぶっちゃけラブホテル扱いされることもしばしば……。
なお、大人向けの薄い本におけるタイトルでは同案多数の鉄板ネタである(さもありなん)。