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しあわせウサギのオズワルドの編集履歴

2016-08-14 23:07:34 バージョン

しあわせウサギのオズワルド

おずわるどざらっきーらびっと

しあわせウサギのオズワルドとは、ディズニーキャラクターのひとり。「世界一有名なネズミ」ミッキーマウスよりも前にデビューしたディズニーキャラクターであり、かつ、数多のディズニーキャラクターの中で、もっとも数奇な運命を辿ったキャラクター。きっとラッキー、ずっとハッピー。

概要

「しあわせウサギのオズワルド」とは、ウォルト・ディズニーが自身のスタジオで、

1920年代に製作した短編アニメーション作品シリーズであり、

同時に、先述の短編作品に登場する主役キャラクターの事である。

ウォルト・ディスニーが生み出した作品のキャラクターとしては古株で、

最初にスターとなったキャラクター。

だが、登場作品にまつわる諸事情によって、ディズニーキャラクターでありながら、

20世紀のかなり長い時期を、「ユニバーサルのキャラクター」として過ごした。

(※そのため、一時期USJにこっそり姿を出していた時期もある。)


キャラクター概要

性格

イタズラと楽しいことが好きで、少し短気。そしてプレイボーイなヤツである。


外見

オズ誕

黒い体色と黒く長い耳、青いパンツが特徴。

1920年代の印刷物などでは赤いオーバーオールを着用している姿が見られるが、

ディズニー復帰後はミッキーマウスとの差別化を兼ねてか、青いパンツを着用している。


特技

特技(?)として、身体のパーツを自由に取り外したり伸ばしたりする、

耳を回して空を飛ぶ等がある。


周辺キャラクター

ガールフレンド的な位置付けにあるキャラクターとして、

猫に似た容姿のキャラクター、オルテンシアがいる。

また、別のガールフレンドとして、ウサギの女性キャラクターが存在している。


声優

白黒時代はディズニー/ウィンクラー時代は無声。ユニバーサル時代から声が付くが、情報が少ないため不明。

(「※※時代」の詳細については後述。オズワルドの辿った数奇な経緯と関わりがある。)

ゲーム「エピックミッキー」においては、まさかの大御所フランク・ウェルカーが担当。

日本版では中尾隆聖が担当しているのでは、という俗説が流れているが、

残念ながら中尾氏はエピックミッキー2には出演していないため、これは誤りである。

また、ミッキー役の青柳隆志の下にクレジットされている青山穣ではないかという説もあるが、

これは声優を単にアルファベット順に並べただけのクレジットであり、これも参考にはならない。

そのため、声優が明確にクレジットされる作品にオズワルドが出演するまでは、

担当者不明と言わざるを得ない状況にある。一体誰なのか・・・。


「悲劇のディズニーキャラクター」オズワルド

オズワルドはその経歴から、「悲劇のディズニーキャラクター」として紹介される事が多い。

事実オズワルドが辿った運命は、あまりに過酷で、かつ数奇なのだ・・・。


1927 【誕生】

時は1927年、所は米国。

ウォルト・ディズニーのアニメーションスタジオのオリジナル作品として、オズワルドと彼の出演作品は産声をあげた。

第1作「かわいそうなパパ」(※劇場未上映)、第2作「トロリー・トラブルス」を皮切りに、全26作品がウォルトのスタジオで製作、ユニバーサル・ピクチャーズ供給で公開。

これらの作品は好評を博し、オズワルドは瞬く間にスターとなった。

しかし・・・この事が、オズワルドの悲劇と数奇な運命の始まりとなる。


※ちなみに、この「オズワルド」作品より前、ウォルト率いるアニメーションスタジオは、実写とアニメを組み合わせた短編映画「アリス・コメディー」シリーズを制作していたが、一連の作品に(今も10円ガムでおなじみの)「フィリックス」に類似したキャラクターを出してしまい、フィリックスの版権元から抗議を受けている。当然「アリス・コメディー」シリーズの製作は打ち切られた。

この件がオズワルド誕生のきっかけのひとつとなるのだが・・・ウォルトさん何やってんすか。

(著作権に対する意識が現代よりもずっと緩かったということか・・・色々な意味で。)


1928 【別離】

オズワルドがスターへの階段を着実に昇っていた1928年。その事件は起きた。

それまでディズニーとユニバーサルの間を取り持っていたチャールズ・ミンツが、

製作費の値上げを求めるウォルトに対して、ユニバーサルへの法外な配給手数料支払を要求、

ウォルトがこれを拒否するや否や、今度はスタジオからのスタッフ引き抜き工作を仕掛けたのである。

そして・・・ウォルトにとって不幸なことに・・・スタッフの大半はこの工作に乗ってしまった。


更に、ウォルトにとって二重に・・・オズワルドにとっても・・・不幸だったのは、

「オズワルドの権利がディズニー側ではなく、ミンツとユニバーサル側に存在した」事であった。

ウォルトはこの時、自身の会社のスタッフと、作品と、キャラクターを失い、

・・・オズワルドは親であるウォルトと、ディズニーの元から引き離されたのである。


この事件はディズニーにも、オズワルドにも、強い影響を与えることになった。

(ディズニー側に与えた影響は『ミッキーマウス』や『ディズニー』の項目に詳しい。

 簡潔に述べれば、このオズワルドにまつわる事件は、ミッキーマウスという大スターの誕生と、

 時に過剰とさえ言われる程の、ディズニー社の厳格な権利意識をもたらすきっかけとなった。)


1928~43 【ウィンクラー/ユニバーサル時代】

チャールズ・ミンツとユニバーサルは、ウォルトとディズニーからオズワルドの入手に成功、

人気キャラクターと実力のあるスタッフを手に入れ、万事上手くいくと思われた。

・・・が、しかし。事はそう上手くは運ばなかったのである。

権利を手に入れた当座の間、チャールズ・ミンツの下、元ディズニーのスタッフがオズワルド作品を製作していたが、

残念ながらディズニー時代ほどの人気は得られず、加えてミンツの製作体制に不満を持ったユニバーサル側が、

今度はミンツからオズワルドの版権を取り上げ、直接オズワルド作品の製作と供給に乗り出すことになったのである。


この後、ユニバーサルが直接製作・供給するようになったオズワルド作品だが、

トーキー映画化、更にキャラクターデザインの大幅な変更までなされたものの、

人気の回復には至らず、むしろ人気の低迷に拍車をかける結果となった。


結局、ユニバーサル製作のオズワルドのアニメーション作品は、人気の低迷に加え、

最終的に「ウッディー・ウッドペッカー」という自社スターが登場したことによって、

1943年を最後に製作が途絶。オズワルドは長く人々の前から姿を消す事になる。


2006 【帰還】

1940年代に新作の製作が途絶え、次第に姿を見せる機会が無くなっていったオズワルド。

だが、オズワルドは全く忘れられてしまった訳ではなかった。


時は流れて21世紀、2006年のこと。

ディズニー傘下の放送局に、とある人気スポーツアナウンサーがいたのだが、

諸事情あって、そのアナウンサーがユニバーサル側の放送局に移籍することになった。

しかしこのアナウンサーは人気者の上、ディズニー傘下の放送局に根を張った人物。

簡単に鞍替えとはいかない。そこでユニバーサル側は一計を案じ、

ディズニーに対して、この人気スポーツアナウンサー移籍の交換条件として、

オズワルドの版権・・・キャラクターとウォルトが製作した作品の権利・・・を返還。

こうしてオズワルドは78年の時を経て、ディズニーへ帰還したのである。

(なお、この件にはアメリカンフットボールが深く関係している。)


ぼくたちのお父さん!

1928年にウォルトとディズニー社から引き離されて約80年、

加えてウォルトの没後から数えて40年という、長い時を経ての『帰宅』であった。


ディズニー復帰後のオズワルド

2006年にディズニーの下に戻ってきたオズワルド。

納まるべきところに納まったといえる彼は、少しずつその活動範囲を広げている。


ゲーム「エピックミッキー」シリーズ

米国では2010年、我が国では2011年に発売されたWii用ゲーム「エピックミッキー」に登場。

「人々に忘れられたキャラクター」「ミッキーマウスに対して鬱屈とした感情を抱いている」という、

数奇な運命を基にした設定になっている。みんないつでもきみのことばかり!おのれミッキー!

だが、ストーリーが進むにつれ・・・。


続編「エピックミッキー2」では、プレイヤーキャラクターとして操作可能である。


アニメーション

2013年に「ディズニーからのクリスマス・グリーティングカード」として、

30秒ほどの短いアニメーション作品が製作された。

こう書いてしまうと「大したことないじゃん」と思ってしまうかもしれないが・・・。

しかしこの「グリーティングカード」、作品として見るならば、

オズワルド主演作品としては1943年に製作が途絶して以来の作品なのだ。

更に『ディズニー製作のオズワルド作品』としては1928年以来のもの。

・・・つまりディズニー製作のオズワルド主演作品としては実に85年ぶり、

単純にオズワルド主演作品として考えても70年ぶりに作られた新作ということになる!

ΩΩΩ<な、なんだってー!?


また、米国では2013年11月、我が国では2014年3月に公開された、

長編映画「アナと雪の女王」の前座として上映された短編作品、

「ミッキーのミニー救出大作戦」にも、ごく短い時間ながらオズワルドが登場している。


パーク

パークには2010年頃から顔を出すことが多くなったオズワルド。

東京ディズニーランドのイースターイベント、

イースターワンダーランド」のパレードのフロートへの抜擢、

カリフォルニアのパーク「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」での、

オズワルド専門ショップ開店など、徐々に浸透。

そして2014年4月、東京ディズニーシー(TDS)でついにパークデビューを果たす。

まさかの全世界初が日本であった。どういうことなの・・・。


東京ディズニーシーでのパークデビュー後は米国へ「帰還」。

一時期は日米のパークで触れ合うことができたが、

現在は「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」で会うことができる。




余談:繰り返された「悲劇」

これはオズワルドやディズニーとは直接関係のない話であるが、

実はオズワルドの版権騒動から半世紀以上の時を経た2000年頃、ユニバーサルは再び同じ過ちを犯している。

自社の傘下であるユニバーサル・インタラクティブ・スタジオ(UIS)が僅かに関わり、当時世界的な人気を博したゲーム「クラッシュバンディクー」の版権を独占し、それまで順調にコンテンツを築き上げてきた開発会社のノーティードッグや、販売と宣伝を担当したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)から作品を奪い取るという暴挙に出たのだ。

正確には、作品の隆盛に伴いその人気と売上げに利用価値を認めたユニバーサルが、権利者の立場を利用して横暴に振舞うようになり(現場の状況も理解しないで無茶な注文をつける、一方的な人事で勝手に担当スタッフの配置換えを行った挙句、後任への引継ぎすらしない、等)、同作の開発・販売環境は著しく悪化した。その状況を打開するべくSCEIは版権の買収交渉を行うも、欲に目が眩んだユニバーサルは法外な値段を提示することでこれを拒否。その結果、ノーティードッグとSCEIはクラッシュシリーズからの撤退を余儀なくされたのだった。

ちなみに同作とUISの関わりとは、開発プロデューサーのマーク・サーニー氏が当時、同社に籍を置いていただけである。開発は主にサーニー氏個人とノーティードッグのスタッフが行い、宣伝と販売は上述の通りSCEIが担当。一方でUISは名義を貸しただけで、それ以上の商品展開には携わっていない。つまり、そもそもユニバーサル側はクラッシュの成功には何一つ貢献していないのである。


当然、作品の生みの親であるサーニー氏やノーティードッグスタッフの手を離れた同作のクオリティは、その後の展開に伴い酷く劣悪化し、さらにSCEIのマーケティング力を失ったことで満足な商品宣伝が出来なくなったばかりか、各国における発売元の確保にすら困窮するという体たらくであり(実際日本でも2004年発売の「5」を最後にシリーズの販売が止まっている)、人気と売上げは世界規模で急速に低迷した。新規の客層獲得を狙ったのか、キャラクターのデザインや設定を大幅に変更するなど試行錯誤するも、人気を回復するどころか従来のファンのさらなる失望を招き、ついにはコンテンツ自体がそのまま終焉を迎えてしまった。


上記のオズワルドの歴史と照らし合わせるとよく分かるが、結局ユニバーサルは作品を活かし支える力もないくせに目先の利益に目が眩み、金で権利だけを横取りした挙句コンテンツを腐らせ破滅させるという、オズワルドのときとまるで同じ愚行を繰り返したのである。

ユニバーサルは過去の失敗から何も学ばなかったのだろうか?

そして、かつて自分とオズワルドを襲った悲劇を再び繰り返したユニバーサルを、ウォルト・ディズニーは草葉の陰でどう思ったのだろうか・・・。


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