父は農林水産大臣、科学技術庁長官などを歴任した元衆議院議員の中川一郎。
東京大学を卒業後日本興業銀行に勤務。父・一郎の死を受けて政界に入り、北海道第5区、小選挙区比例代表並立制導入後は北海道第11区から選出され、平成21年に落選するまで、連続8期、衆議院議員を務めた。
農業王国・十勝を地盤とする農林系の議員であり、銀行勤務歴があることから財政・金融に明るかった。父・一郎の秘書であった鈴木宗男は初当選時からのライバルであったが、宗男と競った北海道第5区では昭一の得票数が常に上回った。
農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任したほか、党三役では自民党政務調査会長を務めた。
自民党内には、中川秀直という同姓の議員がいるが縁戚関係はない。ネット上では中川昭一を中川(酒)、中川秀直を中川(女)と表記して区別する例が見られた。昭一が酒好きで知られていたことと、秀直が女性問題を抱えていたことから。
人物
父・一郎から十勝の地盤を引き継いだがあまり演説が得意ではなく、講演においても政策とその効果について説明するだけであったため、政策論に詳しい層からの支持は厚かったが、それ以外の層からは「よくわからない」と不評であり、基盤は盤石とは言えなかった。
酒好きで知られており、プレッシャーを紛らわせるため仕事前に飲酒する悪癖があった。泥酔して公の場に現れ不品行を働いたことが度々あり、身近な人々からは酒を控えるようしばしば注意されていた。酒癖の悪さを三宅久之に叱咤された時、支援者に対して禁酒宣言をしたが、これも結局長続きしなかった(その頃の中川は酒をやめようにもやめられないアルコール依存症に陥っていた疑いが強い)。
2009年2月、リーマンショック直後のG7にて、IMFへ100億ドルの融資を発表。IMF理事から「人類史上最大の貢献」と賛美されるが、財務大臣・中央銀行総裁会議後記者会見でもうろうとした状態であったのを「もうろう会見」「酩酊会見」と新聞等に批判される。本人は原因が風邪薬であると釈明したもののバッシング記事は止まず、同年の衆議院選挙で落選してしまう。
その後の中川は以前から優れなかった健康をさらに悪化させ、腰痛や風邪に苦しみ、不眠症のため睡眠薬を服用する状況であったという。
その後平成21年10月3日、自宅で急死しているのが発見された。正三位および旭日大綬章が追贈された。
法名は青邦院釋昭尊。その後妻の郁子が後継者となり2012年に衆議院選挙で当選している。