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多号作戦の編集履歴

2017-03-29 20:41:22 バージョン

多号作戦

たごうさくせん

1944年10月末から12月中旬まで行われたレイテ島への陸軍部隊輸送作戦。

概要

日本軍はレイテ沖海戦で連合国軍のレイテ島上陸を阻止できず、レイテ島防衛のため増援の陸軍部隊を送り込むことになった。

第9次作戦まで実行、第10次作戦は中止され、レイテ島防衛も断念した。

青葉、鬼怒、霞、曙、潮、初春、初霜、島風、浜波、長波、朝霜、若月、夕月、卯月などが参加した。


pixivでは、島風をはじめオルモック湾突入参加艦艇のほとんどが戦没した第3次作戦と、が米駆逐艦群に雷撃を敢行し1隻撃沈の戦果を挙げた第7次作戦のイラスト(すべて艦船擬人化作品)が見受けられる。


各作戦参加艦艇

詳しくはwikipediaを参加されたし。

駆逐艦(と巡洋艦)のみ記載する。リンクはすべて艦隊これくしょんのものとする。

第一次作戦

第十六戦隊による作戦。

厳密には多号作戦発動前の輸送作戦であるが、多号作戦が第二次作戦から始まっている関係から便宜上「第一次作戦」とする。


青葉

鬼怒

浦波

輸送艦五隻


うち、青葉が損傷により途中離脱、鬼怒と浦波が戦没。

この二隻の救助に向かった不知火が戦没。

その後の二次輸送で輸送艦二隻戦没。


第二次作戦

第一水雷戦隊による作戦


初霜

初春

沖波

輸送艦四隻、海防艦四隻


うち、輸送艦の能登丸が戦没。

輸送に成功した後、旗艦の霞が自らこれの救助を行う。

この際の霞座上の司令官は、かの有名なヒゲのショーフクであった。


第四次作戦

第一水雷戦隊による作戦。

第三次作戦の準備遅延によりこちらが先に決行された。


朝霜

長波

若月

秋霜

輸送艦三隻、海防艦四隻


うち、輸送艦二隻、海防艦一隻が戦没。

第三次作戦に先んじて行われた。


第三次作戦

第二水雷戦隊による作戦


島風

朝霜

初春

浜波

長波

若月

輸送艦五隻、駆潜艇二隻


途中、先行していた第四次船団とすれ違い、初春と竹、駆潜艇一隻はマニラに引き返し、代わりに朝霜、長波、若月が第四次船団から編入となった。

うち、輸送艦一隻は座礁。

その後残されたメンバーは朝霜を残して全滅する形となった。

在籍最長の長波も二水戦の申し子の島風も散る、事実上の二水戦の最期であった。


島風は爆撃こそ自慢の速力などで躱していたものの機銃掃射により空いた穴や缶への負担により航行不能になった。 このとき朝霜が救助に向かおうとするも、これを拒否し反転命令を出す。

その後島風は爆発を起こしオルモックの海に散った。

朝霜は漂流する浜波の生存者を救助し引き返していった。


第五次作戦

第一船団

輸送艦三隻、駆潜艇一隻 全滅

第二船団

輸送艦三隻


うち輸送艦二隻喪失


第六次作戦

輸送艦二隻、駆潜艇二隻、哨戒艇一隻 全滅


第七次作戦

第一船団

陸軍SS艇三隻、駆潜艇一隻

第二船団

陸軍SS艇二隻

第三、四船団

輸送艦三隻


米駆逐艦三隻と水雷艇との戦闘で、桑が戦没。

一方の竹は米駆逐艦一隻を撃沈し、これが帝国海軍最後の水上艦による魚雷の戦果となった。


第八次作戦

輸送艦五隻、駆潜艇二隻


うち、輸送艦五隻喪失。


第九次作戦

卯月

夕月

輸送艦六隻、駆潜艇二隻


うち、輸送艦三隻と、卯月と夕月が戦没。この二隻の戦没により睦月型は全滅となった。

卯月は水雷艇、夕月は航空攻撃により戦没している。


第十次作戦

輸送艦三隻


米軍のルソン島上陸が予測された(実際にはミンドロ島に上陸)事から中止となり、多号作戦は打ちとめとなった。

また、ここに戦没したと書かれていないが、曙や初春、沖波、秋霜は第三次作戦と第五次作戦の間にマニラ空襲により戦没している。

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