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蛭子能収の編集履歴

2017-04-18 14:12:06 バージョン

蛭子能収

えびすよしかず

蛭子能収とは、日本の漫画家兼タレント。

概要

1947年、熊本県天草生まれ(長崎県出身)。中学時代はかなり深刻ないじめに遭っていた。長崎市内の市立高校を卒業後、やはり市内の看板店に就職したが、つげ義春の『ねじ式』に感銘を受け1970年に上京。職業を転々としつつ漫画家を志し、1973年にプロの漫画家としてデビューした。


画風こそヘタウマと称されるようにあまり美しいものではないが、漫画のストーリー性に不条理や残酷性、シュールさを持たせた展開が読むものを虜にさせる。このような「漫画の体裁を取り、なおかつ意味のない話」を掲載してくれるのはマニアックな雑誌『ガロ』しかないので、そこで単行本を出していた。後輩漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と評価している。


本人が言うには「漫画で食っていけないからテレビに出ている」というようにテレビ出演は生活費を捻出するのが建て前であるようだ。とはいえほとんどテレビ出演ばかりなので本人の漫画が出版されたり、その他メディアに登場するのはごくまれである(しかし日テレでかつて放送されていた「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」においてフリップでの回答提出の際には文章ではなくイラストを用いて回答していた)。ものすごく時々であるが、俳優としてテレビドラマにも出演している。『孤独のグルメ』(テレビドラマ版)でも井之頭五郎に縁談勧める人の役やってたし。


ニコニコ笑っているイメージが強いが、実は内向的で結構黒い。しかも、倫理観がものすごく変わっているため、その点で知り合いのみうらじゅんを震え上がらせることもしばしばある。詳細は後述。また、葬式では自分の最初の嫁の時以外では泣いたことがない、どころかヘラヘラ笑ってしまうことが多く、式の途中でつまみ出されたこともしばしばあったという。かのたけちゃんいわく、「蛭子さん、旧日本軍みたいに残忍だなあ」。


そもそもガロ系の漫画家には倫理観が謎の人が多いので、むしろ「ガロ系なのにテレビに出られる」方で奇跡の男と言える。


嫁(死に別れた最初の嫁及びその後結婚した今の嫁)とギャンブル(特に競艇)をこよなく愛する一方、自分の子供や孫(実子2人と今の嫁の連れ子)にはほとんど興味がないという。ただ、そのギャンブル好きが災いして、今の嫁ほったらかして競艇場に行って彼女を大激怒させてしまったのはまだマシな方、賭け麻雀で前科持ちになってしまったことがあった。その一方で、かつては興味の無かった孫に関しては、周りの「せめて孫くらいは関心持ってやれよ」という声や、実際に今の嫁の連れ子の子供に接してみて以降、考えを改めている。ただし近年軽度の認知症の兆候が出ていた事が発覚した為、原因としてそれもあるのではないかとも云われている。


実は高校の先輩に、あの清水崑がいる。


蛭子能収の倫理観・迷言

  • 「幸せな家庭は他人に見せつけないほうがいい、不幸な人が傍からジーっと見ているから。」
  • 裁判員制度について:「行くのがめんどくさいから反対」
  • 友人について:「誘われても断れる友達以外は必要ない。友達はすごく窮屈な存在で、オレの自由を奪うことが多い。友達なんていらないですよ。」
  • 浮気をする男性に対して:「家に帰れば嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由がわからない」
  • パリ人肉事件の犯人である佐川一政と対談した時には「好きな人を食べてはいけない」
  • 死生観について:「俺が死んだら食べてもいいよ」
  • 幸福論について:「人間って誰かを幸せにしたり喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。で、一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。女房は俺を幸せにするために生まれてきた。そして、俺は女房を喜ばせるのが運命だった。そういうことではないですかね。」

関連ダグ

漫画家 月刊漫画ガロ エリート塩 根本敬 佐川一政

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 - 元レギュラー

外部サイト

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