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概要編集

1947年10月21日生まれ。熊本県天草市生まれ、長崎県長崎市育ち。

中学時代はかなり深刻ないじめに遭っていた。長崎市内の市立高校を卒業後、市内の看板店に就職したが、つげ義春の『ねじ式』に感銘を受け、漫画家を志し上京する。

職業を転々としながら執筆活動を続け、1973年に『ガロ』でプロの漫画家としてデビュー。

その後、自販機本などアングラな界隈を中心に活動し、1981年に初の単行本が刊行されたことを機に、当時勤めていたダスキンを辞めて専業漫画家となった。

また、1980年代後半からは柄本明と知り合いになったことをきっかけにテレビタレントとしても活動するようになる。


漫画家としての作風、評価編集

画風こそヘタウマと称されるようにあまり美しいものではないが、陰鬱で救いもオチもないストーリー、不気味で狂気的、シュールかつ不条理で残酷な展開が読むものを虜にさせる。本人曰く、特に初期の作品は自分の見た夢をもとにしていたとのこと。また、漫画には本心を反映しており、私生活であった嫌な出来事や腹が立った人物を陰惨な手法で殺害する様子を描くことも多い。

数々のガロ系作家やアーティストが蛭子の影響を公言しており、1980年代におけるアングラ・サブカル界隈を象徴する漫画家の一人である。


後輩漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と評価している。漫画評論家の呉智英は「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と語っている。

蛭子始めガロ系作家に心酔していた山田花子は「感じたまま、ありのままの自分をさらけ出して描いている本物の作家」と高く評価しており、蛭子の漫画では人間の本性、内面性の暗さや醜さも取り繕わず描かれている。

本人は自身の活動拠点について「暗いジメジメしたところの方がおもしろい、アングラには本音の美しさがある」と語っているほどである。


タレント活動について編集

本人が言うには「漫画で食っていけないからテレビに出ている」「テレビはアルバイト」というように、ギャラ目当て、宣伝目的というところが大きいようである。

とはいえほとんどテレビ出演ばかりなので本人の漫画が出版されたり、その他メディアに登場するのはごくまれである(ちなみに、タレントとして漫画家らしい一面を見せた例では日テレでかつて放送されていた「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」においてフリップでの回答提出の際には文章ではなくイラストを用いて回答していた)。

数は非常に少ないものの、俳優としてテレビドラマにも出演している。最近では『孤独のグルメ』(テレビドラマ版)にも出演していた。


人物像編集

テレビ番組などでは腰が低くニコニコ笑っているイメージが強いが、漫画の内容から分かる通り実は内向的で、性格も暗い一面がある。しかも、倫理観がものすごく変わっているため、その点で知り合いのみうらじゅんを震え上がらせることもしばしばある。詳細は後述。

笑いのツボが変わっているため、葬式では自分の最初の嫁の時以外では泣いたことがないどころか、参列者たちが揃いも揃って神妙な面持ちで泣いている光景がツボにハマって失笑してしまう癖があり、式の途中でつまみ出されたこともしばしばあったという。かのたけちゃんいわく、「蛭子さん、旧日本軍みたいに残忍だなあ」。なお、この癖はいくら意識しても直すことができないことを本人自身が嘆いており、他人に迷惑をかけないための苦肉の策として「そもそも葬式に参列しない」という手段を取っている。

「自分が思うほど他人は自分のことを意識して見ていない」と考えており、自己アピールのしすぎや思い込みが激しく自意識過剰に陥ってしまった人物に関しては「気にしなくていい」と冷静な立場で諭している。しかし、この思想が、結婚式に呼ばれた際普段着でやってきたり、他人の意向を何の気無しに無視したりといった形で反映されることも多い。


そもそもガロ系の漫画家には倫理観が独特な人が多いので、むしろ「ガロ系なのに長年にわたってテレビに出られる」という意味で奇跡の男と言える。


妻(死に別れた最初の妻、及びその後再婚した今の妻)とギャンブル(特に競艇)をこよなく愛する一方、自分の子供や孫には「子供は好きではない」としてほとんど興味がないという。ただ、そのギャンブル好きが災いして、妻をほったらかして競艇場に行って彼女を大激怒させてしまったのはまだマシな方、賭け麻雀で前科持ちになってしまったことがあった。

その一方で、かつては興味の無かった孫に関しては、周りの「せめて孫くらいは関心持ってやれよ」という声があったことや、近所に住む義理の娘(今の妻の連れ子)の子供と会う機会が増えたことで「血のつながっていない孫なのに可愛くて仕方がない」と感じ、孫たちのことは可愛がるようになったという。


本人を題材にしたゲームが出た事もあるが、『スーパーマリオ』や『ストリートファイター』などゲームの知識は全くない(アメトーークより)。


実は高校の先輩に、あの清水崑がいる。


認知症について編集

2020年に出演したテレビ東京の健康情報番組「主治医が見つかる診療所」にて調べてもらったところ、認知症の初期段階にあることが発覚した(レビー小体病とアルツハイマー型認知症の合併症)。ただし投薬である程度は対処出来るタイプであるため、投薬したうえで昼間の仕事に絞り込んで活動は続けたいとの事である。

なお、2014年に出演した『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)にて、(明確に認知症と診断されてはいないが)軽度の認知障害があることが発覚している。また、2024年1月に公開されたSOMPO笑顔倶楽部のインタビューにおいて、マネージャーが「記憶力など元々の性格からわかりにくいところがあったが、2018年から認知症の傾向が見られ、2020年の『主治医が見つかる診療所』を機に公表することとした」と言及している(参考→)。


症状は緩やかではあるものの進行し続けており、2022年頃からはテレビへの出演も減っている。

上述のインタビューでは、マネージャーから大好きだった競艇に関する興味や記憶もなくなっていることが語られているほか、2024年3月放送の『蛭子能収さんのお絵かき散歩』(NHK総合)ではかつて逮捕されたこともあるのに麻雀のルールを忘れている、同年4月に太川陽介のYouTubeチャンネルに出演した際には、太川のことは覚えていたものの『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』のことはほとんど忘れている、という様子がそれぞれ映された。

一方、マネージャーや太川、根本敬など周囲の人々は、症状が進んでも昔と変わらない人柄のままであり、穏やかな生活を送っていると語っている。


蛭子能収の倫理観・迷言編集

  • 「幸せな家庭は他人に見せつけないほうがいい。不幸な人が傍からジーっと見ているから」
  • 裁判員制度について:「行くのがめんどくさいから反対」
  • 友人について:「友達はいい存在である一方で自由を妨げる存在にもなる。誘われても断れる友達以外は必要ない。オレは女房さえいれば友達なんかいなくてもいいかな」
  • 浮気をする男性に対して:「家に帰れば嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由がわからない」
  • パリ人肉事件の犯人である佐川一政と対談した時「好きな人を食べてはいけない」と諭した。
  • 死生観について:「俺が死んだら食べてもいいよ」
  • 幸福論について:「人間って誰かを幸せにしたり喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。で、一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。女房は俺を幸せにするために生まれてきた。そして、俺は女房を喜ばせるのが運命だった。そういうことではないですかね」
  • とあるテレビ番組でアフリカの貧しい子供たちに食糧が支給される映像を見て:「あれ全部腐ってたら面白いね」
  • 息子の友達が遊びに来た際、蛭子の取っておいたプリンを自分がもらったと誤解し食べてしまったことに激昂、のちに自身の漫画作品にその子をモデルとした人物を登場させ惨殺。追及された際には事実を認め、こう発言:「所詮漫画ですから。漫画の中だったら自由に人が殺せるんですよ。現実には絶対やりませんよ」

関連タグ編集

漫画家 月刊漫画ガロ エリート塩 根本敬 佐川一政

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 - 元レギュラー


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